HISTORICAL PERSON · 1802年没

エラズマス・ダーウィン

イングランドの医師・詩人・自然哲学者で、チャールズ・ダーウィンの祖父。ルナ・ソサエティの創設に加わり、長詩『植物の園』や『ゾーノミア』で進化の考えを示し、光合成の過程も詳しく記した。

生涯
1802年没
死亡地
イギリス連邦(ダービーシャー / Breadsall Priory)
出生地
イギリス連邦(Elston Hall)
出典
世界地図
イギリス連邦(ダービーシャー)

伝記

エラズマス・ダーウィンは、1731年12月12日に生まれ、1802年4月18日に没したイングランドの医師、詩人、自然哲学者である。ロバート・ダーウィンの父で、チャールズ・ダーウィンの祖父にあたる。

ノッティンガム付近のエルストン・ホールで、法律家の三男として生まれた。ケンブリッジ大学とエディンバラ大学で学び、内科医の資格を取得した。リッチフィールドで開業し、当時のイングランドで最も優れた医師として知られた。吃音症であったという。マシュー・ボールトンやウィリアム・スモールとともに「ルナ・ソサエティ」を創設し、のちにウェッジウッド、ワット、キア、エッジワースらが加わって、知的に傑出した、未曾有の地方グループとなり、イングランドの産業革命の知的な原動力となった。この仲間のジェームズ・ワットらに促されて、発話機械から水平型風車までの多種多様な発明を実用化し、大量の設計図を残した。蒸気機関を改良したワットと実業家ボールトンは、自分たちの改良点をまとめた手紙を彼に送っている。1780年代の7年間を費やしてリンネの大作「植物の体系」と「植物の属」を翻訳し、リッチフィールド大聖堂の文芸サークルでも活躍した。

長詩『植物の園』は、1791年に発表され、1790年代初頭の文芸界に旋風を巻き起こした。ロマン主義文学とリンネの植物学を融合させた物語詩で、詩の本文よりも原注のほうがはるかに多いという異様な形式を持つ。本文が精霊や妖精のイメージにあふれる一方、注釈は詳細で科学的な厳密性を持ち、斬新な仮説も展開されている。あまりにエロティックだと批判されたが、彼は「リンネの分類学の本質こそそのエロティシズムにある」として譲らなかった。文芸批評家は、彼自身の詩よりも、ワーズワース、コールリッジ、シェリー、キーツらイギリスロマン派の詩人たちに与えた強い影響を重視している。

1794年から1796年にかけて、動物の生活史を扱った大著『ゾーノミア あるいは生命の法則』を刊行した。選択交配を何世代も重ねた動物に見られる変化、変異の遺伝、性選択の作用などに着目し、「適者」の方が弱い個体よりも多くの子孫を残すことで種全体が改良されるという、今日の生物進化にあたるメカニズムを指摘した。彼は「数百万の時代」という時間のなかで、すべての動物は一片の生ける糸から生まれたと述べたとされる。神がすべてを創造したという考えを否定するこの発想は、当時としては到底受け入れられない叛逆に近い行為であった。1800年の『フィトロギア』は、植物の生活史を概説する大作で、光合成の過程を詳しく記し、窒素と燐が植物の栄養素として重要であることを初めて認識した。死後の1803年に出た長詩『自然の殿堂』は、太古の海の微生物から植物、魚類、両生類、爬虫類、陸棲動物、鳥へと、生命の進化を追った。いわゆる科学研究としては、王立協会の論文誌に5篇の論文を発表し、1785年にはアルトワ(自噴式)井戸の原理を初めて明確に解説し、1788年には断熱膨張の原理で雲の形成を説明した。

孫のチャールズ・ダーウィンは、自伝のなかで、18歳以前に『ゾーノミア』を読んだが何の影響も受けなかったと記している。当時は大いに敬服したが、10年から15年後に読み返したときは、思索が実例よりはるかに多いことにがっかりしたという。のちに70歳になって祖父の伝記を書いた。孫のフランシス・ゴールトンは、エラズマスの発明の才と多面性を受け継いだとされる。

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