伝記
トマス・ホッブズ(ホッブスとも表記される)は、1588年4月5日に生まれ、1679年12月4日に没したイングランドの哲学者である。清教徒革命(イングランド内戦)から王政復古期にかけて活動し、機械論的世界観や唯物論の先駆者の一人であり、人工的国家論と社会契約説によって近代的な政治哲学の創始者の一人とみなされている。のちに国王となるチャールズ2世が王太子だった時代の家庭教師でもあった。
ウィルトシャー州マームズベリー近郊のウェストポートで、イングランド国教会の牧師の次男として生まれた。スペインの無敵艦隊が襲来するという知らせに衝撃を受けた母が予定より早く出産したため、「恐怖と共に生まれた」といわれる。1600年に父が死ぬと叔父フランシス・ホッブズに引き取られ、1603年にオックスフォード大学に入って、1608年に卒業した。卒業後は第2代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの家庭教師となり、1610年から1630年代にかけて貴族の子弟とともに三度ヨーロッパ大陸を旅し、フランスやイタリアの哲学者や科学者と交流した。1620年にはベーコンの助手として口述筆記や著作のラテン語訳を手伝い、1629年にはトゥキディデスの『戦史』の翻訳を公表した。1631年には第3代デヴォンシャー伯爵の家庭教師となり、1636年にガリレオを訪ねている。
1640年、短期議会の進展でイングランドの政情が不安定になると、身の危険を案じてパリへ亡命した。同年に『法学原理』を発表している。1645年に王太子がパリへ亡命すると、その数学教師を務めた。1651年、内戦が終わりクロムウェルの統治下にあったイングランド共和国に帰国した年に、代表作『リヴァイアサン』を出版した。そこでは、人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」とし、自己保存を求める人々が、理性の導く自然法に従って自然権を一人の主権者に委ねる契約を結ぶことで国家が成り立つと説く。この著作は、王権神授説に立つ王党派からは無神論者とされ、共和派からは専制の擁護者と見られた。現代に至るまでホッブズの評価は屈折しており、相反する立場から異なるホッブズ像が示されている。
その後も著述を続け、1655年に『物体論』で円積問題の解を見つけたと公表して、数学者ジョン・ウォリスとの論争に発展した。デカルトから『省察』の批判を頼まれたときは唯物論の立場から批判したが、デカルトの反応は冷淡だった。1656年に『自由、必然、偶然に関する諸問題』を発表し、1658年に『人間論』、1668年に『ビヒモス』を出版し、1674年にはホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』の翻訳を発表した。1679年12月4日に死去した。ジョン・ロックやルソーは彼の理論を批判的に継承したとされ、ホッブズの政治理論をめぐっては絶対主義の理論とみる説や近代的な民主主義的理論とみる説など、今も複数の解釈がある。この国家論は後世に批判も受け、イギリスの思想家アクトン卿は権力を強調する議論をマキャヴェッリやホッブズの説の焼き直しにすぎないと評した。日本では1883年(明治16年)に、文部省編輯局が『リヴァイアサン』第二部の9章を訳している。
同じ年に亡くなった人物
- ヤン・ファン・ケッセル (父) (1679年没)
- ジャン・フランソワ・ポール・ド・ゴンディ (1679年)
- Jacques de Billy (1679年)
- アントニオ・マリア・アバティーニ (1679年)
- ヨハン・フリードリヒ (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公) (1679年没)
同じ地域に関係する人物
- ヴィクター・キャヴェンディッシュ (第9代デヴォンシャー公爵) (1938年没)
- ジョージ・ターナー (画家) (1910年没)
- ジョー・スペンス (1966年没)
- ホワイト・ワトソン (1835年没)
- Louis Martin (2015年没)