HISTORICAL PERSON · 紀元前500没

ミコン

紀元前5世紀半ばのギリシアの画家・彫刻家。タソスのポリュグノトスと親しく、共にアテナイの彩色柱廊をマラトンの戦いなどの絵で飾った。アナケイオンにも絵を描き、娘は画家のティマレテ。

生涯
紀元前500没
死亡地
—
出生地
アテナイ(アッティキ / アテナイ)
出典
世界地図
アテナイ(アッティキ)

伝記

ミコンは、紀元前5世紀に活動した古代ギリシアの画家であり彫刻家である。アテナイの人で、ファノコスの子とされる。ただしイオニア出身ともいわれる。若年のミコンと呼ばれることもあり、5世紀の半ばごろ、紀元前460年ごろの人物とされる。娘のティマレテも画家だった。彼の絵は一つも現存しない。

ミコンは、タソスのポリュグノトスと結びついて語られる画家である。ポリュグノトスの大規模な壁画の連作で協力者を務め、アテナイの彩色柱廊(ストア・ポイキレ)をマラトンの戦いなどの戦いの絵で飾った。柱廊の壁画のうち、ミコンの作とされるのは「アテナイ人とアマゾン族の戦い」と「マラトンの戦い」である。マラトンの戦いの絵は、パナイノスという画家と共に描いたとも伝わる。同じ柱廊でポリュグノトスは「トロイア攻略」を描き、これを無償で引き受けたためにアテナイの市民権を得たといわれる。これらの絵は石灰を塗った板に描かれ、人物の大きさは約1メートルだったという。柱廊の絵は、ペリクレスによるアテナイ再建の計画の一環として描かれたともされる。

ディオスクロイの神殿とされるアナケイオンでは、アルゴ船の遠征隊がコルキスへ向かう場面、またはその帰還を描いた。パウサニアスによれば、この絵でミコンはアカストスとその馬の描写をとりわけ重んじた。テセウスの神殿にもポリュグノトスと共に絵を描いた。神殿は紀元前470年ごろの建立とされ、ミコンはそこにケンタウロスとの戦い、アマゾン族との戦い、海底からミノスの指輪を取り戻すテセウス、テセウスの死といった場面を描いたと伝わる。馬の描写で特に名高かったともいう。

二人は黒い絵の具を、ブドウの搾りかすからつくった。これをギリシア語で「トリュギノン」と呼ぶ。ミコンは感情、動き、雰囲気を描く画家とされ、風景の表現や、場面を重ね合わせる構成といった絵画上の工夫をもたらしたと見なされる。その大きな絵は後世、とりわけ壺絵に大きな影響を与えたという。

彫刻家としては、画家ほど知られていない。大プリニウスは、ミコンを競技者の像の作者として挙げる。作と伝わる像の一つは、紀元前472年にオリュンピアのパンクラティオンで優勝したカリアスの像で、パウサニアスが記している。像の台座が聖域アルティスで見つかっており、碑文と、実物より大きな青銅の像の足の跡が残っていた。もう一つの競技者像の台座も、紀元前450年ごろのものとされ、碑文の一部とともにアテナイのアクロポリスで見つかった。

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