HISTORICAL PERSON · 紀元前500没

Critius

紀元前5世紀前半のアテナイの彫刻家で、ミュロンの師。ネシオテスと組み、ペルシアに持ち去られたアンテノル作の僭主殺し像に代わる群像を制作した。名は大理石像クリティオスの少年に残る。

生涯
紀元前500没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

クリティオスは、紀元前5世紀初めに活動したアテネの彫刻家である。おそらくアンテノルの弟子で、アッティカの工房で仕事をしたとされる。その作風は後期アルカイック様式と、初期古典主義の厳格様式との境目に位置している。生没年や生涯の事情はほとんど分かっておらず、知られているのは作品と、それをめぐる事柄にとどまる。厳格様式の最初期の代表者の一人で、のちにミュロンの師となった。また次の世代の大彫刻家、ペイディアスやポリュクレイトスにも影響を与えたとされる。

最もよく知られた仕事は、ネシオテスと共同で制作した「僭主殺し」の群像である。これは、ハルモディオスとアリストゲイトンという、僭主ヒッパルコスを殺した英雄的な恋人たちを表す像だ。アンテノルが作った同じ主題の群像は、ペルシア戦争の最初の段階でペルシア人に持ち去られていた。アテネがペルシアに勝利したのち、クリティオスとネシオテスは、その代わりとなる群像の制作に選ばれた。青銅製の新しい群像は、紀元前477年から前476年にかけて制作・設置されたとされ、アテネのアゴラの、アンテノルの像があった場所に立てられた。アテネの自由の象徴であったという。原作は失われたが、構図はローマ時代の模刻によって知られ、ナポリ国立考古学博物館のものは、ハドリアヌスの別荘で見つかった模刻である。

二人はこのほかにも、アクロポリスに奉納された青銅像を作ったが、現在残るのは署名の刻まれた台座だけである。クリティオスは大理石と青銅の両方を扱い、ネシオテスと組んで仕事をした。

アクロポリスで見つかった大理石像の頭部は、僭主殺しの像の一つ、ハルモディオスの模刻にとてもよく似ているため、「クリティオスの少年」と呼ばれる。現在はアクロポリス博物館にある。この像は、紀元前480年から前470年のものとほぼ確実とされ、彼の作と見られる可能性が高い。楽々とした自然さと、体重を片脚にかけるゆるやかなコントラポストにより、先立つ後期アルカイックの型どおりのクーロスとは一線を画している。コントラポストは、体のさまざまな部分の調和ある対比によってわずかな動きを生み、正面性の法則を破ることに寄与し、のちの古典彫刻の規範となった。ただし、この像が再発見されたのは1865年と遅く、新古典主義の彫刻に影響を与えるには遅すぎた。もし1世紀早く知られていたら影響を及ぼしていただろうといわれ、そのため古代ギリシア彫刻史でのクリティオスの位置づけは、さほど大きくならなかったとされる。

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