伝記
ビテュニアのテオドシオスは、ヘレニズム時代のギリシャの数学者・天文学者である。紀元前2世紀から紀元前1世紀ごろに活動したと考えられるが、生没年や出身地には不明な点が多い。紀元前160年ごろから紀元前100年ごろの人物ともされる。アルキメデスの著作に注釈を書いたと伝わり、ウィトルウィウスが発明に言及しているため、アルキメデスより後、ウィトルウィウスより前の学者と位置づけられる。また、ストラボンは、ビテュニアで学識によって名の知られた人々のなかに、ヒッパルコスとテオドシオスおよびその息子たちを挙げている。
かつてはトリポリスのテオドシオスとも呼ばれた。しかし、これは同名の別人の記述が混ざったために生じた可能性がある。トリポリスをフェニキアの都市とする説やアフリカの都市とする説があり、ビテュニアからそこへ移ったとも、ビテュニアにあった同名の都市の出身ともいわれてきた。生涯の具体的な足取りは確定していない。活動時期を広く紀元前200年から紀元前50年の間に置く見方もあり、正確な没年も分からない。緯度の異なる土地を含め、地上のどこでも使える日時計を考案したとされるものの、その構造や使用法の詳しいことは伝わらない。
主要な著作は、球面の幾何学を扱った『球面幾何学』である。三巻からなり、第一巻に22、第二巻に23、第三巻に14の命題を収め、幾何学的な方法で証明した。エウクレイデスが一般の幾何学に与えたような基礎を、天文学で必要とされる球面の数学に与える著作であった。先行するエウクレイデスの『天体現象』やアウトリュコスの『運動する球について』でも、ここで証明された関係が用いられている。そのため、クニドスのエウドクソスらによる、失われた先行の球面幾何学を基礎にしたという説がある。一方、球や天球儀を用いて説明されていた内容を、初めて形式的にまとめた可能性も考えられている。
ほかに『居住地について』と『日中と夜について』が残る。前者は、住む土地や季節によって異なる天の見え方を扱う。後者は太陽の見かけの運動を論じる二巻の著作で、各巻に13と19の命題を収めている。太陽が日ごとに黄道上を進む弧を考え、ある土地の子午線で至点を迎える条件や、分点で昼夜の長さが等しくなる条件を調べた。また、太陽年の長さが一日の整数倍であるならば、昼夜の長さの変化は一定の期間後に繰り返すと述べた。これら三つの著作は、エウクレイデスの幾何学を基礎とする短い天文学書の集成にまとめられ、伝承された。
後世にはメネラオスが球面幾何学の定理を加えて発展させ、パッポスも広く注釈した。ビザンツ時代を通じてギリシャ語の写本が作られ、イスラーム圏ではアラビア語に訳された。『球面幾何学』はクスター・イブン・ルーカーやサービト・イブン・クッラによって翻訳され、12世紀にはティヴォリのプラトンやクレモナのジェラルドがアラビア語からラテン語に移した。16世紀にはマウロリコが翻訳を行い、1556年にジャン・ペナがより完全なギリシャ語・ラテン語版をパリで刊行した。1675年にはアイザック・バローの版も出ており、球面幾何学と天文学の基礎となる書物として長く読まれた。
同じ年に亡くなった人物
- ルキウス・ポルキウス・カト (紀元前89年没)
- Lucius Afranius (紀元前89)
- グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前96年の執政官) (紀元前89年没)
- マルクス・アエミリウス・スカウルス (紀元前89年没)
- ティトゥス・ディディウス (紀元前89年没)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。