伝記
ガイウス・ユリウス・パエドルスは、紀元前18年ごろまたは15年ごろから紀元後50年ごろまで生きた古代ローマの人物で、イソップ寓話をラテン語の韻文に改作した1世紀前半の『イソップ風寓話集』によって知られる。名はファエドルスとも、ラテン語の語形に倣ってパエデルとも書かれる。解放奴隷は主人の個人名と氏族名を名乗るのが通例で、アウグストゥスの解放奴隷とされる彼の名もそれに由来するという。
生涯については同時代の人々による言及がなく、4世紀のアウィアヌスが寓話集の序文で、パエドルスが5巻の寓話集を著したと記すにとどまる。このため、書物の中の自伝的な記述、たとえば第3巻の序文などが唯一の手がかりとなる。本人は、女神ムネーモシュネーがムーサたちを生んだという伝説をもつマケドニアのピエリアの生まれだと称した。実際にはギリシア北方のマケドニアかトラキアのあたりの生まれだったと考えられる。ラテン語の教育は早くから受けていたようで、少年のころエンニウスを読んだと述べている。
奴隷としてローマに連れてこられ、皇帝アウグストゥスに、ついでティベリウスに仕えた。経緯ははっきりしない。中務哲郎によれば、トラキア地方の反乱がローマ軍に鎮圧された際に奴隷とされてアウグストゥスの所有となり、その孫ルキウスの家庭教師となったのち、自由民にされたという。ピソのトラキア遠征の後に幼くして連れてこられたと推測する見方もある。ただし、彼の自己描写が事実かどうかを確かめる外部の証拠はない。研究者が伝記的な手がかりに与える重みは様々で、通説の輪郭すら「まったくの空想」と退け、ローマ生まれの自由市民で、生涯をローマで過ごした法律家だったと見ることもできるとする論者もいる。
ティベリウスの時代に、まず寓話集の第2巻までを公刊した。ところが親衛隊長セイヤヌスはこの作品をティベリウス批判の書とみなし、皇帝侮辱罪で訴えた。パエドルスは、セイヤヌスが告発者であり証人であり裁判官でもあったと述べている。どのような刑を受けたかは不明だが、追放の身になったとされ、第3巻の序文ではエウテュクスという人物に取りなしを求めている。西暦31年にセイヤヌスが失脚した後はローマに戻り、第3巻以降を発表していった。第3巻の跋文では壮年を過ぎた年ごろと自称し、最終の第5巻を出したときには相当な高齢であったらしい。
『アウグストゥスの解放奴隷パエドルスによるイソップ風寓話集』は5巻94話からなる。韻文で書かれた現存最初のイソップ寓話集であり、ラテン語で書かれた最初のイソップ寓話集でもある。韻律は、イアンボスを6回重ねて1行とするセナリウスである。第3巻はエウテュクス、第4巻はパルティクロ、第5巻はピレトゥスに献呈されている。本人は、従来のイソップが説教の助けにすぎなかったのに対し、自分は語り口で芸術として味わえるようにしたと述べ、「考えついたのはアエソプス、磨き上げたのは私の腕」と言った。題を『イソップ風寓話』としたのはそのためである。表現は簡潔で引き締まり、内容はイソップの翻案、当時の人物や世相の批判、短編小説風の逸話や滑稽譚など多岐にわたる。後半ほど新作が多い。
当時は必ずしも評価されず、半ば忘れられた存在だった。しかし中世のロムルス集などのラテン語イソップ寓話集は、パエドルスの散文化や焼き直しであり、これが15世紀のシュタインヘーヴェルの本に収録されて普及した。近世以降の有名な寓話は、さかのぼればパエドルスに行きつく。日本語では1998年に岩谷智訳の全5巻の訳が刊行された。
同じ年に亡くなった人物
- Papirius Fabianus (50年(推定))
- アレクサンドリアのフィロン (50年)
- クイントス・クルティウス・ルフス (50年(推定))
- マルクス・マニリウス (50年(推定))
- テッサロニカのアンティパトロス (50年(推定))
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