HISTORICAL PERSON · 紀元前515年没

ポリュクラテス

サモス島の僭主。強力な艦隊で周辺の島や都市を征服し文化も栄えさせたが、指輪を海に捨てた逸話でも知られ、最後はサルディスで暗殺された。

生涯
紀元前515年没
死亡地
トルコ共和国(マニサ県 / サルディス)
出生地
ギリシャ共和国(サモス)
出典
世界地図
トルコ共和国(マニサ県)

伝記

ポリュクラテスは、アイアケスの子で、エーゲ海に浮かぶサモス島の僭主である。在位は紀元前538年ごろから紀元前522年とされる。当時、リュディア王クロイソスがペルシアのキュロス2世に敗れて紀元前547年にリュディアが滅び、ペルシア将軍ハルパゴスが本土側のギリシア都市を次々に従えていた。サモスにも混乱が生じ、ポリュクラテスはヘーラー祭の期間に兄弟のパンタグノトス、シュロソンとともに島を掌握した。しかしまもなくパンタグノトスを殺し、シュロソンを追放して、単独の支配者となった。反対派の多くは国外に去り、哲学者で数学者のピュタゴラスもエジプトや南イタリアに向かったとされる。

ペルシアは陸の戦士で海には不慣れであり、アマシス2世はペルシアの侵攻を恐れて海軍を整えていた。ポリュクラテスはそのファラオ、アマシス2世や、ナクソス島の僭主リュグダミスと同盟を結んだ。アマシス2世は艦隊を築くための大金もサモスに与えたとされる。五十櫂船100隻と弓兵1000を率いて、エーゲ海の島々や小アジアのイオニア沿岸の都市を略奪し、レスボス島とミレトスの海軍を破って服属させた。レネイア島も征服し、アポローンへの奉納とした。のちには三段櫂船40隻も建造したといい、そうした艦隊を持った国はサモスが最初だったと考えられている。戦士としても僭主としても名声を得た。

内政では、都市の城壁を固め、技師エウパリノスによる地下導水路をつくり、巨大なヘーラー神殿(ヘライオン)と大きな宮殿を築いた。宮殿は、数世紀後にローマ皇帝カリグラが建て直したという。紀元前522年には、デロス島とデルポイの二つのアポローン信仰をたたえる二重の祭を催した。ホメーロス風讃歌の「アポローンへの讃歌」は、このときに作られたとする説がある。詩人アナクレオンや、クロトン出身の医師デモケデスらを庇護した。

ヘロドトスは、幸運に恵まれすぎたポリュクラテスの話を伝えている。アマシス2世は、その幸運がいつか不幸に変わることを案じ、最も大切なものを捨てるよう勧めた。ポリュクラテスは宝石をはめた指輪を海へ投げ捨てたが、数日後、漁師が釣った大魚の腹からその指輪が出てきた。報せを受けたアマシス2世は、このような幸運は破滅を招くと考え、同盟を破棄したという。実際には、ポリュクラテスがエジプトの敵であるペルシア王カンビュセス2世と結んだことが原因だったのかもしれない。のちにポリュクラテスは、政治的に危険とみなした人々を三段櫂船に乗せてカンビュセス2世のもとへ送り、処刑を頼んだ。計画を察した人々は引き返して反乱軍となり、海上でポリュクラテスを破った。サモス島は落とせなかったが、反乱軍はギリシア本土でスパルタとコリントスの援助を得て島を包囲した。城壁は堅く、40日後に撤退した。紀元前525年にエジプトがペルシアに敗れたのちは、資金面の支えも失ったとされる。

紀元前522年、ペルシアではカンビュセス2世に対して簒奪者が反乱を起こし、王は討伐を果たさぬまま世を去った。同じころ、サルディス総督オロイテスがポリュクラテスの殺害を企て、彼をサルディスに招いた。金や財産をえさにしてポリュクラテスを誘ったとされる。不吉な夢を見た娘が行かないよう説いたが、ポリュクラテスは押し切って出向き、暗殺された。殺害の方法はヘロドトスも記していない。在位が紀元前522年に終わったのは、この暗殺によるとみられる。

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