伝記
セルウィウス・トゥッリウスは、伝説上の王政ローマ第6代の王である。在位は紀元前578年から紀元前535年とされ、エトルリア系の王としては2人目にあたる。ローマ建国者ロムルスから数えて6番目、最後の王タルクィニウス・スペルブスの一つ前の王であり、のちの人々は彼を「第二の建国者」や、共和政の官職の先駆けのような存在とも評したほど、ローマの制度に深い足跡を残した人物として語られる。
出自については古来さまざまな伝承が並ぶ。もとは奴隷の身分の生まれだと言われ、リウィウスの伝える話では、母は攻め落とされた町の貴族の女性で、捕らわれてローマに連れて来られたのち、先王タルクィニウス・プリスクスの妃タナクィルに預けられ、王宮で敬意をもって遇されたという。父については、かまどの火から現れた神の力によるとする伝えもあり、幼い頃に頭の周りに火の輪が見えたことから、将来の王に選ばれる子だと見なされたとも語られる。一方、皇帝クラウディウスはこうした話を退け、エトルリアの伝承にもとづいて、彼をマスタルナという名の傭兵で、カエリウス・ウィベンナのもとで戦った人物だとした。このように出自は史料ごとに食い違っており、確かなことは分からない。
ローマの王の多くは元老院に選ばれて終身の官職に就いたが、王家の血筋や神意を根拠に王位を主張した者もいた。先王が紀元前579年に暗殺されると、セルウィウスは先王の娘を妻としてその後を継いだ。王位に就く際の根拠は不明瞭で、元老院の選出を経なかった最初の王だとする説明もあれば、元老院だけの選出を受けたとする説明もある。いずれにしても、王座を得るうえで先王の妃の助力が大きかったと伝えられている。王となった彼は、ウェイイやエトルリア人の都市を相手に軍事的な成功をおさめ、クィリナリス、ウィミナリス、エスクィリヌスの丘を市域に取り込んで都市を広げた。また、辻の祭りであるコンピタリア祭を設けたこと、自身が信仰したフォルトゥナ神とディアナ神の神殿を建てたことも彼の功績とされる。ローマ最初の本格的な貨幣を鋳造させたという説もあるが、これは信じがたいとされる。
彼の生涯を伝える主な史料は、キケロの著作、リウィウスの歴史書、ハリカルナッソスのディオニュシオスやプルタルコスの記述であり、なかでもリウィウスの叙述がローマ人には最も権威ある標準的な説明として受け入れられた。ただし各人の記述には食い違いも多く、どこまでが史実かは慎重に見る必要がある。
内政では王政ローマの組織を大きく作り替え、市民権の範囲を広げて、ローマの最も低い階層の市民や、市民でない人々の暮らしを向上させたと伝えられる。下層の平民からは支持を得た反面、既存の勢力である貴族層には不人気で、その反対を受け続けた。
紀元前535年、リウィウスによれば44年に及んだ治世は、娘の小トゥッリアとその夫タルクィニウス・スペルブスの手によって終わりを迎えた。彼は殺害されたのである。この「悲劇的な罪」と、王となった後の傲慢さが重なって、スペルブスはやがて王座を追われ、王政の廃止とローマ共和政の成立への道が開かれた。王政の終わりは彼の死をきっかけにした出来事であり、共和政の土台は、すでにセルウィウスの改革によって用意されていたと見られている。
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