HISTORICAL PERSON · 2023年没

ポール・ルーベンス

アメリカのコメディアン・俳優。「ピーウィー・ハーマン」のキャラクターで国際的に有名になった。

生涯
2023年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
アメリカ合衆国(ピークスキル)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ポール・ルーベンスは、アメリカ合衆国のコメディアン、俳優、脚本家である。1952年8月27日にニューヨーク州ピークスキルで、ポール・ルーベンフェルドの名で生まれた。「ピーウィー・ハーマン」というキャラクターで国際的に知られ、2023年7月30日にがんのため世を去った。

両親はユダヤ系の家庭で、母は教師、父は自動車のセールスマンだった。父は第二次世界大戦で英国空軍とアメリカ陸軍航空軍の飛行士として飛び、のちに1948年のアラブ・イスラエル戦争でイスラエル空軍の創設期のパイロットの一人になったという。一家は両親が電気スタンドの店を営んでいたともされる。弟妹が二人いる。幼少期をニューヨーク州オニオンタで過ごし、9歳のころ一家でフロリダ州サラソタへ移った。サラソタには大手サーカスの冬の本拠地があり、通ううちに芸能への関心が芽生えたとされる。『アイ・ラブ・ルーシー』の再放送を好み、人を笑わせたいと思うようになった。5歳のときには父に頼んで舞台を作ってもらい、きょうだいと芝居を演じた。小学6年生で初舞台を踏んだともいう。サラソタ高校では全米演劇協会の会長に選ばれ、地元の劇場の舞台にも立った。

高校卒業後はプリマス州立大学に1学期、続いてボストン大学に在籍したが、ジュリアードとカーネギーメロンの演劇課程には受け入れられなかった。進んだカリフォルニア芸術大学で演劇を学び、1973年に卒業している。同級にはケイティ・セイガル、マイケル・リチャーズ、デイヴィッド・ハッセルホフらがおり、ハッセルホフとは一時ルームメイトでもあった。卒業後は飲食店の厨房で働き、ブラシの訪問販売もした。やがてスタンドアップ・コメディアンとして活動し、ロサンゼルスの即興コメディ集団ザ・グラウンドリングスに加わった。約6年の在籍中に、細身の体に灰色のスーツと赤い蝶ネクタイをまとい、子供っぽい口調で話す「ピーウィー・ハーマン」を作り上げた。『サタデー・ナイト・ライブ』のレギュラー選考では最終候補の22人に残ったが、選ばれたのは別の人物だった。1981年に舞台『ピーウィー・ハーマン・ショー』を始めて人気を集め、以後の約10年は人前に出るときも取材でも常にピーウィーを通した。

1985年の映画『ピーウィーの大冒険』は初主演作で、ティム・バートンの長編監督デビュー作でもあり、商業的にも批評的にも成功した。子供向け番組『ピーウィーのプレイハウス』では司会を務め、子供だけでなく大人の人気も得た。『プレイハウス』は最初の放送期間中に15のエミー賞を得た。『セサミ・ストリート』にも出演している。1991年にはデイタイム・エミー賞も受賞している。日本では和光証券のコマーシャルにも出演している。

人気が絶頂にあった1991年7月、フロリダ州サラソタのポルノ映画館で公然わいせつの容疑で逮捕され、キャリアは大きく傷ついた。その後は『バットマン リターンズ』『マチルダ』『ブロウ』などに脇役で出演した。2002年11月には収集していた芸術品の一部が児童ポルノに当たるとして再び逮捕されたが、本人は強く否定し、のちに軽罪のわいせつ罪を認める司法取引に応じたとされる。数年の沈黙ののち復帰し、2016年には脚本と主演を務めた『ピーウィーのビッグホリデー』がネットフリックスで公開された。そのほかテレビドラマ『マーフィー・ブラウン』『30ロック』『ポートランディア』などにも出演し、2010年代にはピーウィーの舞台をロサンゼルスとブロードウェイで上演した。2023年7月、ロサンゼルスの病院でがんのため亡くなった。

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