伝記
大江健三郎は、1935年1月31日に愛媛県喜多郡大瀬村(現在の内子町)に生まれた小説家である。森に囲まれた谷間の村で、両親と兄二人、姉二人、弟、妹の9人家族のなかで育った。この村はのちに作品の舞台となる。1944年に父が50歳で心臓麻痺により急死した。高校は内子高校に入ったのち松山東高校に転じ、文芸部で部誌を編集して詩や評論を載せた。同級生の伊丹十三とはこのころから親交を結んだ。
1954年に東京大学に入り、演劇脚本や短編小説を書き始めた。1956年に仏文科へ進み、愛読してきた渡辺一夫に直接師事した。1957年に五月祭賞を受けた「奇妙な仕事」が東京大学新聞に載り、評論家の平野謙に激賞された。続いて「死者の奢り」で学生作家としてデビューし、1958年には初の長編『芽むしり仔撃ち』を出し、同年に短編「飼育」で当時最年少の23歳で芥川賞を受けた。1959年に大学を卒業して長編『われらの時代』を刊行し、東京の成城に移って近所の武満徹と親しくなった。1960年に伊丹十三の妹ゆかりと結婚し、新安保条約への反対運動にも加わった。同年には日本文学代表団の一員として中国を訪れ、毛沢東に会っている。1961年には「セヴンティーン」とその続編を発表したが、右翼団体から脅迫を受けた。
1963年、長男の光が頭蓋骨の異常のため知的障害をもって生まれた。この体験をもとに書いた『個人的な体験』で、翌1964年に新潮社文学賞を受けた。同じ年、何度も訪れた広島や原水爆禁止世界大会での体験から『ヒロシマ・ノート』の連載を始めた。障害のある子との共生と核の時代という生涯の二つの主題を得た年であり、大江にとって大きな転機だった。1965年には広島について報告するため、ハーヴァード大学に滞在した。1967年には『万延元年のフットボール』で最年少の谷崎潤一郎賞を受け、四国の森の谷間の村を舞台に、安保闘争までの百年を見渡した。1968年には東京の紀伊國屋ホールで一年間の連続講演を行い、のちに『核時代の想像力』としてまとめられた。1971年と1972年の中編では、三島由紀夫の自決を受けて天皇制を批判的に問い直した。1973年に『洪水はわが魂に及び』で野間文芸賞を受けた。1975年には詩人の金芝河の釈放を求め、小田実らとともに48時間のハンガー・ストライキを行った。同じ年に恩師の渡辺一夫を肺癌で亡くして大きな衝撃を受け、翌1976年にはメキシコのコレヒオ・デ・メヒコの客員教授となり、ガルシア=マルケスらと知り合った。
1979年には、故郷の谷間の村の神話と歴史を描いた大作『同時代ゲーム』を発表し、自らの文学の大きな柱と位置づけた。1982年の連作『「雨の木」を聴く女たち』で読売文学賞を、1983年の『新しい人よ眼ざめよ』では光を中心とする家族の日常を描いて大佛次郎賞を受けた。1984年には磯崎新、大岡信、武満徹らと季刊誌『へるめす』を創刊し、1985年には「河馬に嚙まれる」で川端康成文学賞を受けた。
作品は核兵器や天皇制といった社会的・政治的な問題を扱い、戦後民主主義の支持者を自認して発言を続けた。1994年には日本文学史上2人目のノーベル文学賞を受賞した。ほかの主な作品に『取り替え子』『水死』などがある。1986年には『同時代ゲーム』の世界を書き直した『M/Tと森のフシギの物語』も発表している。2023年3月3日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ジョージナ・ベイアー (2023年没)
- ジェイ・ブリスコ (2023年没)
- バート・ヤング (2023年没)
- コーマック・マッカーシー (2023年没)
- ジム・ハインズ (2023年没)
同じ地域に関係する人物
- 歌川国芳 (1861年没)
- 緒方貞子 (2019年没)
- 橋本龍太郎 (2006年没)
- 長岡半太郎 (1950年没)
- 西島和彦 (物理学者) (2009年没)