伝記
サルヴァトーレ・トト・クトゥーニョは、1943年7月7日に生まれ、2023年8月22日にミラノの病院で80歳で亡くなったイタリアの歌手、作曲家である。1983年に発表した「イタリアーノ」(『イタリア人』)で世界的に知られ、1990年にはユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝した。世界での売り上げは1億枚を超えるとされる。
トスカーナ州フォズディノーヴォの一地区に生まれた。父はシチリアのバルチェッローナ・ポッツォ・ディ・ゴット出身の海上の警備官で、母は主婦だった。生後まもなく一家はリグーリア州のラ・スペツィアへ移った。音楽の経歴はドラマーとして始まり、19歳で最初のバンドを結成した。のちにリーノ・ロジートやマリオ・リモンジェッリとともにディスコ・バンドのアルバトロスを組む一方、作曲家としても活動した。フランス系アメリカ人の歌手ジョー・ダッサンには、大ヒットした「夏のインディアン」(「アフリカ」)や「もしも君がいなかったら」といった代表曲を提供している。ダリダの「踊らせて」も共作し、発売後まもなくプラチナ・レコードとなった。ほかにもジョニー・アリディ、ミレイユ・マチュー、ジリオラ・チンクェッティ、クロード・フランソワらに曲を書いたとされる。
1976年、アルバトロスとしてサンレモ音楽祭に初めて出場し、「ヴォーロ504」で3位に入った。その後もヒット曲が続き、1978年にバンドを離れてソロ活動に専念した。同年には最初のソロ・ヒットを出し、マイク・ボンジョルノのテレビ番組の主題歌にもなった。1979年にはアドリアーノ・チェレンターノのヒット曲を書いている。1980年には「ソロ・ノイ」(「私たちだけ」)でサンレモ音楽祭に優勝した。
1983年に発表した「イタリアーノ」(『イタリア人』)は、当初チェレンターノが歌う予定だったが、彼がサビの一節を歌うのに居心地の悪さを覚えて断ったため、クトゥーニョのものとなった。イタリア人らしさをたたえた歌詞と旋律は国外のイタリア人に特に支持され、サンレモでは5位にとどまったものの、最大の国際的ヒットになった。以後もサンレモでは1984年の「セレナーデ」、1987年の「息子たち」、1988年の「感情」、1989年の「母たち」、1990年のレイ・チャールズとの「愛」、2005年の曲と、繰り返し2位に入り、「永遠の2位」と呼ばれた。出場回数は15回とも13回ともされる。2013年には生涯功労賞を贈られた。1980年代には、ミゲル・ボセの「スーパー・スーパーマン」やルイス・ミゲルらへの提供曲も手がけ、1987年からはテレビ司会者としても活躍した。
1990年、サンレモで優勝したプーが辞退したため、2位だった彼がザグレブのユーロビジョン・ソング・コンテストに招かれ、自作の「インシーメ:1992」で優勝した。欧州の政治統合とEUの発足を祝うバラードである。46歳302日での優勝は、1958年のアンドレ・クラヴォーを上回る当時の最年長記録で、2000年にオルセン・ブラザーズが優勝するまで破られなかった。優勝によりローマで開かれた翌1991年の大会では、ジリオラ・チンクェッティとともに司会を務めた。米国やオーストラリアでも公演を重ね、ドイツ、スペイン、ルーマニア、トルコ、ロシアでも人気を集め、2013年にはロシアで赤軍合唱団と共演した。
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