HISTORICAL PERSON · 2023年没

ジェフ・ベック

イングランドのギタリスト。日本ではエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ギタリストの一人とされ、高い評価を受けた。

生涯
2023年没
死亡地
イギリス連邦(イースト・サセックス / ワドハースト)
出生地
イギリス連邦(ウォリントン (ロンドン))
出典
世界地図
イギリス連邦(イースト・サセックス)

伝記

ジェフ・ベック(本名ジェフリー・アーノルド・ベック)は、1944年6月24日に生まれ、2023年1月10日に亡くなったイングランド出身のギタリストである。日本ではエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ギタリストの一人とされ、『ローリング・ストーン』誌の「最も偉大な100人のギタリスト」では、2003年に14位、2011年の改訂版では5位に選ばれた。

ロンドン南方のウォリントンで、両親と姉のいる中流家庭に生まれた。幼いころ、母からピアノを、叔父からヴァイオリンを習ったが挫折し、叔父の影響で車に興味を持った。ロックンロールやロカビリーに惹かれ、弦が3本しかないガット・ギターを手に入れ、やがてベニヤ板に黄色いペンキを塗った自作のギターを作った。ギターを嫌う両親は、それを何度も捨てたという。バディ・ホリーに憧れてエレキギターを求めたが買えず、ストラトキャスターに似た楽器を知人と自作した。16歳でウィンブルドン・カレッジ・オブ・アートに入り、最初のバンドを結成した。1962年には姉の紹介でジミー・ペイジと知り合って意気投合し、のちにトライデンツで活動しながらセッション・ギタリストも務めた。

1965年、ペイジの紹介でクラプトン脱退直後のヤードバーズに加わった。シングル「ハートせつなく」では、本来シタールで弾くはずだったイントロのリフを、ファズを通してヴィブラートの加減で再現したところ、それが採用されたという。1966年にはペイジも加わってツイン・リード編成となったが、メンバー間の確執が深まり、アメリカ・ツアー中にステージを放棄し、12月中旬に健康上の理由で脱退した。その後ミッキー・モストとソロ・シングル「ハイ・ホー・シルヴァー・ライニング」を出してヒットさせ、ロッド・スチュワートやロン・ウッドらと「ジェフ・ベック・グループ」を結成して『トゥルース』を録音した。1969年11月に交通事故で重傷を負い、3か月入院して、ティム・ボガート、カーマイン・アピスらとの新バンド構想は白紙になった。回復後に作った第2期のグループは、ジャズやモータウンなどの影響を受け、1971年に『ラフ・アンド・レディ』、翌年に『ジェフ・ベック・グループ』を出したが、突然のメンバー変更で解体した。その後はボガート、アピスと組んで活動したが、1974年に自然消滅した。

1975年、ジョージ・マーティンのプロデュースで初のインストゥルメンタル・アルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』を発表し、アメリカでゴールドディスクを獲得した。翌年の『ワイアード』はジャズ・ロックの色を強めた作品となり、1978年から1979年にはスタンリー・クラークと日本とヨーロッパを巡った。1985年の『フラッシュ』では、ヴォーカル入りの曲を中心にし、収録曲「エスケープ」でグラミー賞を受けた。1989年の『ギター・ショップ』も同賞を得た。10年の間隔をあけて1999年に『フー・エルス!』を出し、打ち込みを多用したテクノ色の強い作風へ進み、2000年の『ユー・ハッド・イット・カミング』、2003年の『ジェフ』へと続けた。

2003年9月にはデビュー40周年記念コンサートをロイヤル・アルバート・ホールで開いた。2010年には穏やかな曲調の『エモーション・アンド・コモーション』を発表し、2013年にはブライアン・ウィルソンの北米ツアーに加わった。2016年にデビュー50周年のアルバム『ラウド・ヘイラー』を出し、翌年に記念の来日公演を行った。2019年にもツアーを行っている。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物