伝記
ハリー・マックス・マーコウィッツは、1927年8月24日にアメリカ合衆国のシカゴで生まれ、2023年6月22日に没した経済学者である。ユダヤ人の家庭に生まれ、父はモリス、母はミルドレッドといった。日本語ではマーコビッツと表記されることもある。中等学校の時期には物理学と哲学、とくにデイヴィッド・ヒュームの思想に関心を持ち、その関心はシカゴ大学の学生時代にも続いたという。
シカゴ大学で学士号を得たのち、同大学に残って経済学を専攻し、ミルトン・フリードマン、チャリング・クープマンス、ヤコブ・マルシャク、レナード・サヴェージらに学んだ。学生のうちに、当時シカゴにあったコウルズ委員会の一員に迎えられている。博士論文には、数学を株式市場の分析に応用する課題を選んだ。指導教官のマルシャクは、これがコウルズ委員会の創設者アルフレッド・コウルズの好んだ主題でもあると述べて後押ししたという。株価の理解が当時ジョン・バー・ウィリアムズの現在価値モデルに拠っていたことを調べるうち、リスクの影響を扱う分析がその理論に欠けていると気づいた。ここから、不確実性のもとでの資産配分に関する基礎理論が生まれ、1952年に論文「ポートフォリオ選択」として発表された。
1952年にはランド研究所に入り、ジョージ・ダンツィグと知り合った。ダンツィグの助けを得て最適化の手法を研究し、平均分散の観点で最適な資産の組み合わせを見いだすクリティカル・ライン・アルゴリズムを発展させた。1955年にシカゴ大学から博士号を受けたが、主題があまりに新しかったため、口頭審査ではフリードマンが、その内容は経済学ではないと論じたとされる。1955年から1956年にはイェール大学に移ったコウルズ財団でジェームズ・トービンの誘いを受けて過ごし、その間に資産配分の本を書いて、1959年に『ポートフォリオ選択論』として刊行した。日本語訳は1969年に鈴木雪夫の監訳で東洋経済新報社から出ている。
1962年には、ハーブ・カーとともにカリフォルニア・アナリシス・センター社を設立した。これがのちのシーエーシーアイ・インターナショナルである。ランド研究所で開発に関わった最初のシミュレーション用プログラミング言語シムスクリプトの支援や訓練を行うための会社だった。この言語は製造、輸送、コンピューターシステムのほか、戦争ゲームのシミュレーションにも広く使われた。1968年にはマイケル・グッドキンが創設したアービトラージ・マネジメント社に加わり、ポール・サミュエルソンやロバート・マートンと協力して、コンピューターによる裁定取引の最初の試みとされるヘッジファンドをつくった。1970年に最高経営責任者となり、会社は1971年に売却され、翌年にマーコウィッツは退いた。
1989年には、ポートフォリオ理論、疎行列の手法、シミュレーション言語シムスクリプトという三分野への貢献により、ジョン・フォン・ノイマン理論賞を受けた。疎行列の手法は、係数の大半がゼロである非常に大きな連立方程式を解くために今も広く使われている。1990年にはニューヨーク市立大学バルーク校の金融学教授としてノーベル経済学賞を受賞した。受賞が決まったとき、講演のため日本を訪れていたという。賞金は自分が体系化した理論で運用したいと語った。のちにはカリフォルニア大学サンディエゴ校のレイディ経営大学院で客員教授として教えつつ、コンサルタントも務めた。
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