HISTORICAL PERSON · 2022年没

ジェームズ・カーン

アメリカ合衆国の俳優。ニューヨークのブロンクス出身で、テレビ出演を経て1964年に映画デビューした。大学ではフットボールに打ち込み、空手の黒帯も持っていた。

生涯
2022年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ウェストウッド)
出生地
アメリカ合衆国(ブロンクス区)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ジェームズ・カーンは、アメリカ合衆国の俳優である。1940年3月26日にニューヨーク市ブロンクスで生まれ、2022年7月6日に世を去った。『ゴッドファーザー』(1972年)の長男ソニー・コルレオーネ役で広く知られ、この役でアカデミー助演男優賞とゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされた。1978年にはハリウッドのウォーク・オブ・フェームに星を得ている。息子に俳優のスコット・カーンがいる。

両親はドイツのライン地方の町ビンゲンから来たユダヤ系の移民で、父は肉屋を営んでいた。クイーンズ区サニーサイドで育ち、少年時代は活発で、路上でのけんかにもよく加わり、ボクシングやロデオを好んだ。ミシガン州立大学ではフットボールに打ち込んだが、在籍したのは1956年の1年だけだった。のちにニューヨーク州ヘムステッドのホフストラ大学へ移り、卒業はしていない。同級生にはフランシス・フォード・コッポラやレイニー・カザンがいた。この大学で演技に興味を持ち、ニューヨークのネイバーフッド・プレイハウスで5年間学んだ。のちに「演技に恋をした。もちろん私の即興はいつも暴力で終わった」と振り返っている。

舞台に立ったのち、1961年にブロードウェイにデビューした。テレビでは『アンタッチャブル』『ワゴン・トレイン』『コンバット!』など多数の作品にゲスト出演した。映画の最初の仕事は1963年の『あなただけ今晩は』での台詞のない端役で、1964年のスリラー映画では目をつぶされるごろつきを演じ、共演のオリヴィア・デ・ハヴィランドに称賛された。このころテレビシリーズの主演の話を断り、「俳優になりたいのであって、金持ちになりたいのではない」と語ったという。1965年にはハワード・ホークス監督の『レッド・ライン7000』で初めて主演した。興行は振るわなかったが、ホークスはカーンを気に入り、次作『エル・ドラド』でジョン・ウェインやロバート・ミッチャムの脇を固める役に起用した。ロバート・アルトマン監督の『カウントダウン』(1967年)でも主演し、1969年にはコッポラ監督の『雨の中の女たち』で脳に障害を負ったフットボール選手を演じて評価された。ただ、『エル・ドラド』を除くとこの時期の作品は興行的に成功せず、「彼の映画は金にならないと言われた」と本人は語っている。

転機は1971年のテレビ映画『ブライアンズ・ソング』である。実在のフットボール選手ブライアン・ピッコロを演じ、エミー賞にノミネートされた。翌1972年の『ゴッドファーザー』の撮影中には、ニューヨークのマフィアのボスの一人としばしば行動を共にしていた。当時はまだ無名に近かったため、捜査当局は彼を組織の一員になりたがっている若者の一人と見たという逸話が残る。その後も『ギャンブラー』(1974年)と『ファニー・レディ』(1975年)でゴールデングローブ賞にノミネートされ、『ローラーボール』『遠すぎた橋』などで重要な役を得た。

しかしソニー役の印象が強すぎ、以後は苦戦したともいわれる。5年間の休業を経て、1987年に映画へ復帰した。1990年にはロブ・ライナー監督の『ミザリー』に主演し、瀕死の重傷でほとんど動けない役を名演した。50代以降は性格俳優として、テレビドラマ『ラスベガス』、コメディの『エルフ』など幅広く活躍し、声優も務めた。2015年に胸の痛みで病院に搬送されたが、命に別状はなかったとされる。2022年7月6日の夕方に死去し、公式ツイッターで発表された。4度の結婚で5人の子をもうけている。

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