HISTORICAL PERSON · 1977年没

アナイス・ニン

11歳から没する直前まで60年以上書き続けた日記の出版で知られる、フランス生まれの作家。性愛を追究した小説でも名高く、ヘンリー・ミラーの愛人だったことも日記で明らかになった。

生涯
1977年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
フランス共和国(ヌイイ=シュル=セーヌ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

アナイス・ニンは、1903年2月21日、フランスのヌイイに、両親ともに芸術家の家の娘として生まれた著作家である。父ホアキン・ニンはキューバ人のピアニストで作曲家、母ローサ・クルメルもキューバ人の声楽家で、フランス人とデンマーク人を祖先に持っていた。父方の曽祖父はフランス革命のときにフランスを逃れ、ハイチとニューオーリンズを経てキューバに移り、同国で最初の鉄道建設に貢献したという。両親が離婚すると、母は、アナイスと二人の息子、トラバルドおよびホアキン・ニン=クルメルを連れて、バルセロナからニューヨークに移住した。

日記を書き始めたのは11歳のとき、母と兄弟とともにアメリカへ渡る船の上だった。家族を捨てた父に自分の身の上を伝えたいという願いからだった。スペイン旧家出身の音楽家である父とのヨーロッパでの暮らしは華やかで優雅であり、それを失ったニューヨークでの新生活は寂しいものだった。フランス語で綴る日記は、自分たちの消息を父に語るとともに、異国で暮らす心の支えにもなった。次第に熱中して、日々の様子だけでなく、心の内や創作した物語まで書き込むようになった。その熱中ぶりに、のちにヘンリー・ミラーは、日記によって創作力が枯れてしまうのではないかと心配したほどだったという。日記『第1巻、1931年-1934年』によれば、16歳のときに公式な勉学を捨て、絵画のモデルとして働き始めた。

1923年3月3日、キューバのハバナで、銀行家であり芸術家でもあるヒュー・パーカー・ギラーと20歳で結婚した。ギラーは1940年代にイアン・ヒューゴの名で実験映画の作り手となる。二人は翌年パリに移り、ギラーが銀行業務の経験を積む間に、ニンは書くことへの興味を追い始めた。最初に出版された作品は、D・H・ローレンスの評論『D・H・ローレンス 専門外の研究』である。フロイトの弟子オットー・ランクなど、心理療法の分野の探求も始めた。日記によれば、パリでヘンリー・ミラーとボヘミアンな生活を送ったという。1939年、夫妻はニューヨークに戻った。映画にも3本出演し、マヤ・デレンの『変形された時間での儀礼』などで脇役を演じた。1955年3月17日にはアリゾナ州でルパート・ポールとも結婚し、二人でカリフォルニア州に住んだが、ギラーはニンが亡くなる1977年までこの結婚を知らなかった。

1940年代、金に困ったニンはミラーとその友人たちと、匿名の「収集家」のために1ページ1ドルで性愛的な文章を書いた。作中人物が極端に戯画化されていると考えて出版するつもりはなかったが、1970年代初期に心変わりして、『ヴィーナスのデルタ』および『小鳥たち』として出版を許可した。ニンは女性の性愛を描く作家の一人として多くの批評家に賞賛され、近代ヨーロッパで性愛小説を書いた確実に最初の著名な女性作家とされる。1966年からは日記が刊行され、数十年にわたるその記録は、私的な生活と関係者を深く探る洞察力を備えていると評価された。1973年にフィラデルフィア芸術大学から名誉博士号を受け、1974年にはアメリカ国立芸術文学研究所の会員に選ばれた。1977年1月14日、ロサンゼルスで死去し、遺体は火葬されて灰はサンタモニカ湾に撒かれた。ポールが遺作管理者に指名され、1985年から2006年に死去するまで、著作と日記を新たに無修正で出版した。

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