伝記
メディアのアミュティスは、新バビロニアの王ネブカドネザル2世の妃となったメディアの王女である。生没年はおよそ紀元前630年ごろから紀元前565年ごろとされる。バビロンの王妃であり、メディア王キュアクサレスの娘とされ、キュアクサレスの孫娘とする説もある。婚姻によって、バビロニアとメディアの同盟が正式なものとなった。名のアミュティスはギリシア語形で、ラテン語化されて伝わった。母音の入れ替わりを経た、メディア語またはペルシア語の古い名に由来するのかもしれず、その名はアヴェスター語のフマティ、すなわち「よい思いをもつ者」にあたるといわれる。この名はギリシア語の形でしか確認されていない。
出自については、はっきりしない。ネブカドネザル2世の妻の名を記した同時代のバビロニアの文書は、現存していない。歴史家ベロッソスは、その名をアミュティスとし、メディア人の首長アステュアゲスの娘だと述べた。ベロッソスは、ネブカドネザルの父ナボポラッサルが、息子の妻にアステュアゲスの娘アミュティスを得るため、アステュアゲスを助ける軍を送ったと記す。一方、ギリシアの歴史家クテシアスは、アミュティスをアステュアゲスの娘で、ペルシアのキュロス大王に嫁いだ人物としている。しかし、ナボポラッサルの時代にバビロニアとメディアのあいだに良好な関係が築かれていたことを考えると、メディアの王女がバビロニア王家に嫁いだと見るほうが、ありそうだとされる。アステュアゲスはナボポラッサルの治世にはまだ若く、子がいたとは考えにくく、王でもなかった。そのため、アミュティスはアステュアゲスの姉妹で、先代の王キュアクサレスの娘だった可能性が高いとされる。アステュアゲスにはやはりアミュティスという名の娘がいて、この人物はアミュティスの姪にあたるという。ナボポラッサルは、息子を王の娘と結婚させ、バビロニア人とメディア人の同盟を固めようとしたのだろうと考えられている。この結婚は二つの民を結んだだけでなく、メディアとカルデアの王朝をも結びつけた。
別の伝承もある。エウセビオスが伝えるアレクサンドロス・ポリュヒストルの話では、カルデア人の王サルダナパロスが、アステュアゲスの娘アミュティスを自分の子ネブカドネザルの妻に求めた。アビュデノスの伝える話は少し違う。アッシリア王に仕えた将軍ナボポラッサルが、海からの侵入に備えるためバビロニアへ送られたが、裏切りを企て、息子ネブカドネザルをアステュアゲスの娘アミュティスと結婚させた。その後、アッシリアの都ニネヴェを攻め、アッシリア王は自ら宮殿に火を放って死んだ。ネブカドネザルは王国を継ぎ、バビロンに城壁を築いたという。
アミュティスは、バビロンの空中庭園との結びつきでも知られる。伝承によれば、メディアの高い山々と緑を恋しがるアミュティスを慰めようと、ネブカドネザルが故郷の木々や草花を植えさせ、世界の七不思議の一つとされる空中庭園を造った。そこには低木、つる草、樹木のほか、人工の丘や水路も設けられていたという。ただし、この庭園の考古学的な証拠は見つかっておらず、歴史的な裏づけはないとされる。
アミュティスがいつ亡くなったかは、確かには分かっていない。ネリグリッサルが企てた反乱で、息子のエビル・メロダクとともに殺されたと推測する者もいるが、その時期がアミュティスの没年にあたるという確証はない。
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