伝記
チック・コリアは、1941年6月12日にアメリカ合衆国マサチューセッツ州チェルシーで生まれ、2021年2月9日に没したジャズピアニスト、キーボーディスト、作曲家である。本名はアルマンド・アンソニー・コリアという。父はイタリア南部にルーツをもつジャズ・トランペッターでもあった。4歳のころからピアノを習い始め、高校を卒業するとニューヨークのジュリアード音楽院に進んだ。
キャリアは1964年ごろ、ブルー・ミッチェル、ハービー・マン、モンゴ・サンタマリアらとの共演から始まった。1966年にデビュー・アルバム『トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ』を録音し、発表は1968年だった。1968年後半にはハービー・ハンコックに代わってマイルス・デイヴィスのグループに加わり、『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチェズ・ブリュー』などに参加した。このころマイルスの指示でフェンダー・ローズのエレクトリック・ピアノを弾くようになる。当初はこの楽器を嫌っていたが、1970年代には彼のサウンドに欠かせない楽器となった。マイルスのグループでも、ライブの演奏はフリー・ジャズの要素が強かった。
1970年にマイルスのグループを離れると、ベースのデイヴ・ホランド、ドラムのバリー・アルトシュルとグループ「サークル」を結成した。フリー・ジャズ寄りの演奏を展開した。1971年にはベーシストのスタンリー・クラークらとクロスオーバー・ジャズのバンド「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を立ち上げ、1972年にECMレコードからアルバム『リターン・トゥ・フォーエヴァー』を発表した。カツオドリのジャケットで知られるこの作品は、1970年代のジャズ・フュージョンのアルバムとしてヒットした。バンドは数々の作品を生み、トップ・アーティストとしての地位を築いた。『ライト・アズ・ア・フェザー』に収められた「スペイン」は、いまも他の演奏家に演奏され続ける、ジャズの代表曲であり彼自身の代表曲でもある。初めはフローラ・プリムやアイアート・モレイラらブラジル系のメンバーが中心でラテン色が強かったが、彼らの脱退後、1973年にギタリストのビル・コナーズが、1974年にはその後任としてアル・ディ・メオラが加入し、よりロック色の濃い方向に進んだ。
1978年にリターン・トゥ・フォーエヴァーを解散してからも、『フレンズ』や『スリー・クァルテッツ』など、エレクトリックにもストレート・アヘッドなジャズにも、クラシックにも挑む多彩な活動を続けた。1985年にジョン・パティトゥッチ、デイヴ・ウェックルとチック・コリア・エレクトリック・バンドを結成し、1987年には二人をリズム・セクションに迎えたアコースティック・バンドとしてライブ活動を始めた。1992年には自己のレーベル「ストレッチ・レコード」を始めた。
2004年にエレクトリック・バンドをオリジナル・メンバーで復活させて『トゥ・ザ・スターズ』を発表し、2006年にはスティーヴ・ガッド、クリスチャン・マクブライドとアルバム『スーパー・トリオ』を制作した。2007年にはリターン・トゥ・フォーエヴァーの再々結成を発表し、2008年には上原ひろみとのピアノ・デュオで日本武道館公演を行った。活動の多彩さは晩年まで衰えなかった。ジャズを基本に、ボサノヴァ、ロック、クラシックなどの要素を織り交ぜた演奏を見せ、1970年代には年に2枚以上、多い年には4枚のアルバムを出す多作家としても知られた。夫人はキーボード奏者のゲイル・モランである。2021年2月9日、癌のため死去した。
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