伝記
ジャンニ・ヴェルサーチ、本名ジョバンニ・マリア・ヴェルサーチは、1946年12月2日にイタリア南部のレッジョ・カラブリアで生まれたファッションデザイナーである。父とドレスメーカーの母フランチェスカ、兄サント、妹ドナテラとともに育った。姉ティナがいたが、破傷風が適切に治療されなかったために12歳で亡くなっている。歴史的な遺構が多く残る土地で育ったことから古代ギリシャ文明の影響を強く受け、高等学校では課程を修了しなかったものの、古代ギリシャとローマについて学んだ。母は12人ほどのお針子を雇う縫製業を営んでおり、幼いころから出入りしていた。26歳でミラノに移ってファッション産業で働き始める前には、建築も学んでいた。
1973年にイタリアの既製服メーカー、ジェニーの若者向けライン、ビブロスのデザイナーに就任して成功を収め、1977年には同社のより実験的なライン、コンプリスを担当した。1978年には自分の名を冠したレーベルで最初の女性向けコレクションをミラノで発表し、同じ年に最初の店をヴィア・デッラ・スピーガに開いた。会社は家族の協力で立ち上げ、兄サントが社長、妹ドナテラが副社長となり、ドナテラは創作面でも視野を広げる役割を果たした。ドナテラの夫で元モデルのポール・ベックは、メンズウェアのディレクターとして迎えられた。
デザインは鮮やかな色彩、大胆なプリント、セクシーなカッティングで、それまでの控えめなファッションを一新した。「クラシックな豪華さと過剰なまでのセクシーさの組み合わせ」は数々の賞とともに批判ももたらし、アルマーニの服は妻のため、ヴェルサーチの服は愛人のためと言い表された。1982年には非常に軽い鎖かたびらを用いたドレス「オロトン」を発表し、この素材は代表的なものとなった。ブランドのロゴであるメデューサの頭やギリシア雷文には、誇りとしていた南イタリアと古代の影響が反映されているとされる。同じ年にジュエリーや家具、陶器などの日用品にも手を広げ、1989年にはパリのサンディカに加盟してオートクチュールに進出し、価格を抑えたライン「ヴェルサス」も始めた。1990年代初頭からは、ナオミ・キャンベル、クリスティー・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタらをランウェイと広告に起用し、スーパーモデルブームの火付け役となった。1991年秋冬のバロック模様の「バロッコ」は、今も定番として展開されている。
舞台衣装も手がけ、ミラノ・スカラ座のバレエ『ヨゼフ伝説』(1982年)や、ベジャールのバレエ団の公演、1990年のサンフランシスコ・オペラ、1992年のエルトン・ジョンのワールドツアーの衣装などを担当した。ステージを「自身にとっての自由の場所」と評したという。
1997年7月15日、滞在中のマイアミ・ビーチの別荘の入口で、連続殺人犯のアンドリュー・クナナンに射殺され、50歳で亡くなった。朝のカフェから戻る途中だった。このとき会社は世界に130の店を持つまでに成長しており、死後は妹ドナテラがヘッドデザイナーとしてブランドを運営している。事件はのちにアメリカのテレビ局でドラマ化された。
同じ年に亡くなった人物
- マイケル・マンリー (1997年没)
- 横井庄一 (1997年没)
- リッチ・マリンズ (1997年没)
- ビルヒリオ・バルコ・バルガス (1997年没)
- アレクサンダー・トッド (1997年没)
同じ地域に関係する人物
- ボブ・アームストロング (2020年没)
- ジェイコブ・ジャヴィッツ (1986年没)
- デニー・レイン (2023年没)
- ジョン・ボイド (軍人) (1997年没)
- Hughie Thomasson (2007年没)