伝記
コービー・ブライアントは、1978年8月23日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、2020年1月26日に世を去ったプロバスケットボール選手である。NBAのロサンゼルス・レイカーズで、フランチャイズ・プレイヤーとして最長となる20年間を過ごした。猛毒蛇にちなむ「ブラックマンバ」の愛称で知られた。
父は元NBA選手のジョー・ブライアント、母は元NBA選手ジョン・コックスの妹パミラである。名前は、父が好んだ鉄板焼きレストラン「神戸ステーキハウス」で店主に神戸の名の由来を尋ねたことをきっかけに、両親が気に入って付けたものだ。コービーは2人の姉を持つ末の子として生まれ、父の練習や試合に付き添って技術と知識を培った。1983年に父がイタリアリーグへ移ると、6歳で一家とともに渡り、約7年をイタリアで過ごした。
アメリカに戻ってフィラデルフィアのローワー・メリオン高校に進むと、異文化の環境に最初は苦労したが、3年生で才能を開花させ、31.1得点10.3リバウンド5.2アシストで州の最優秀選手に選ばれた。ウィルト・チェンバレンが保持したペンシルベニア州の高校得点記録も更新し、4年生のシーズンには母校を42年ぶりの州王座へ導いた。当初は大学進学を考えていたが、前年にケビン・ガーネットが高卒でドラフト指名を受けたことで心変わりし、1996年のドラフトへの参加を宣言した。憧れのマイケル・ジョーダンと対戦したい気持ちも理由の一つだったと語っている。
当時のコービーは、ドラフト候補の中で特別評価が高いわけではなかった。しかしレイカーズのゼネラルマネージャー、ジェリー・ウェストはワークアウトで才能を見抜いていた。コービーは全体13位でシャーロット・ホーネッツに指名されたが、「レイカーズに入れなければデューク大学に進む」と譲らず、ウェストがセンターのブラデ・ディバッツを放出するトレードでコービーを獲得した。
ルーキーイヤーの1996-97シーズンは平均7.6得点にとどまったが、18歳でNBA史上最年少の先発出場を記録し、スラムダンクコンテストでも史上最年少で優勝した。2年目にはベンチスタートながらファン投票で史上最年少のオールスター先発に選ばれ、19歳でスターの仲間入りをした。1998-99シーズンには先発の座を奪って初のオールNBA3rdチームに入ったが、シャキール・オニールとの不仲説が報じられ、チームはプレーオフで敗退を繰り返していた。
1999-00シーズン、フィル・ジャクソンがヘッドコーチに就任すると、2人はコート上で共存の道を見つけた。レイカーズは67勝15敗を記録し、コービーは22.5得点を挙げ、史上最年少でオールディフェンシブ1stチームに選ばれた。ファイナルのペイサーズ戦では第2戦で足首を捻挫して第3戦を欠場したが、怪我が癒えないまま第4戦に強行出場し、延長でチームの得点の多くを挙げて勝利に導いた。シリーズは4勝2敗で制し、4年目で初優勝を果たした。翌シーズンは平均28.5得点をあげ、4月に結婚し、チームはプレーオフを勝ち上がってファイナルでフィラデルフィア・セブンティシクサーズを4勝1敗で降した。
通算ではNBAチャンピオン5回、シーズンMVP1回、ファイナルMVP2回、オールスターMVP4回を記録し、1試合81得点はNBA歴代3位である。背番号8と24の永久欠番が発表され、ロサンゼルス市は8月24日を「コービー・ブライアントの日」と定めた。1998年の初来日では神戸を訪れ、2001年には神戸大使に委嘱された。
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