伝記
サー・トーマス・ショーン・コネリーは、1930年8月25日にスコットランドのエディンバラで生まれ、2020年10月31日に亡くなったイギリスの映画俳優である。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で知られ、2000年に英王室からナイトに叙された。
アイルランド系の家庭に生まれ、父ジョセフは職工でトラック運転手、母ユーフェミアは洗濯女だった。義務教育を終えて最初に就いた仕事は牛乳配達だった。その後は海軍に従軍したが健康上の理由で除隊し、トラック運転手、労働者、美術モデル、ライフガードなどをしながらボディビルのジムに通った。セミプロのサッカー選手として右ウイングを務め、マット・バスビー監督の目に留まってマンチェスター・ユナイテッド入りの誘いを受けたが、断ったという。1953年にミスター・ユニバースの重量挙げ部門で3位に入り、出場者の一人から演技の道を勧められた。1954年からテレビや劇団に出るようになった。
スコットランド人としての矜持が強く、独特のアクセントを矯正したことは一度もない。デビュー間もないころは別の人物に声を吹き替えられる屈辱も味わった。ボンド役を引き受ける際もアクセントを直さないことを絶対条件とし、そのため原作のボンドにスコットランド出身という設定が加わったとされる。1961年、20世紀フォックスの契約俳優でありながら、イーオン・プロダクションズと5本のボンド映画に出る異例の契約を結んだ。翌1962年の『007 ドクター・ノオ』で知名度は世界的に上がり、『ロシアより愛をこめて』『ゴールドフィンガー』『サンダーボール作戦』『007は二度死ぬ』と、契約の5作を果たした。名乗りの決め台詞を初めて使ったのも彼だとされ、以来その台詞は2作を除く全作で使われた。シリーズ7作はAFIの「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」で3位に選ばれている。
『007は二度死ぬ』のロケで日本を訪れた際、記者会見でボンド役からの引退を表明して驚かれた。のちにユナイテッド・アーティスツが、本人が望む映画2作の製作費を負担する条件を受け入れ、1971年の『ダイヤモンドは永遠に』で復帰した。その条件の一つが、シドニー・ルメット監督の『怒りの刑事』(1972年)である。1983年には自主製作の『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でもボンドを演じ、ボンド役は計7本となった。制作者のブロッコリやサルツマンとの仲は芳しくなく、「ボンドを殺したい」とまで言い放ったという。
ボンドを離れてもヒッチコックの『マーニー』や、オードリー・ヘプバーンと共演した『ロビンとマリアン』など、様々な映画に出た。1987年の『アンタッチャブル』で主人公を助ける警官を演じ、アカデミー助演男優賞とゴールデングローブ賞助演男優賞を受けた。『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役は、脚本を理解できずに断った。2006年にアメリカ映画協会の生涯功労賞を受けたのを機に、俳優業の引退を宣言した。
スコットランド国民党の熱烈な支持者で、サッカーを愛し、グラスゴー・レンジャーズの大ファンとして知られた。2000年のナイトの授与式にはキルト姿で現れた。晩年は認知症に苦しんだと妻が語っている。2020年10月30日深夜から31日早朝にかけて、滞在先のバハマの自宅で亡くなった。死亡診断書では、肺炎、老衰、心房細動による呼吸不全が死因とされる。
同じ年に亡くなった人物
- フローリアン・シュナイダー (2020年没)
- ピエール・カルダン (2020年没)
- アンリ・テシエ (2020年没)
- ジェイ・ベネディクト (2020年没)
- ティム・ブルック=テイラー (2020年没)
同じ地域に関係する人物
- ダーウォード・ノウルズ (2018年没)
- アーサー・ヘイリー (2004年没)
- ウッズ・ロジャーズ (1732年没)
- ジョン・テンプルトン (2008年没)
- リンデン・ピンドリング (2000年没)