伝記
アーサー・アシュキンは、1922年9月2日にニューヨークのブルックリンで生まれ、2020年9月21日に死去したアメリカ合衆国の物理学者である。ベル研究所とルーセント・テクノロジーで働き、レーザー光で微粒子を操作する研究から「光ピンセット」を発明した。2018年にその功績でノーベル物理学賞を受賞し、「光ピンセットの父」と呼ばれる。
父イサドールはウクライナのオデーサから18歳でアメリカに渡って市民権を得た人物で、マンハッタンで歯科技工所を営んでいた。母アンナもウクライナの出身で、ガリツィアの生まれとされる。4人の子の次男で、兄のジュリアスも物理学者となり、マンハッタン計画に携わった。1940年にブルックリンのジェームズ・マディソン高校を卒業し、コロンビア大学に進んだ。在学中は軍用レーダー向けのマグネトロンをつくる研究所の技術者を務め、第二次世界大戦中の在学2年のときに抜擢されて予備役下士官となり、コロンビア大学の研究室で働いた。その期間に書いた論文の技術は、のちに1997年のノーベル物理学賞に利用されたとされる。1945年7月31日には陸軍予備役に加わっている。
1947年にコロンビア大学で物理学の学位を得たあと、コーネル大学に入って核物理学を学んだ。これはマンハッタン計画の時代にあたり、兄を通じてハンス・ベーテやリチャード・ファインマンらと知り合う機会を得た。コーネル大学で妻アリーヌと出会い、60年以上連れ添って3人の子と5人の孫に恵まれた。1952年に博士号を取得し、コロンビア大学時代の指導者シドニー・ミルマンの推薦を受けてベル研究所に就職した。
ベル研究所では1960年から1961年ごろまでマイクロ波を研究したが、その後レーザーの研究に転じた。当時の論文は非線形光学、光ファイバー、パラメトリック発振器と増幅器などに関するものである。1960年代には、圧電結晶中のフォトリフラクティブ効果を共同で発見した。1960年代後半にはレーザー光で微粒子を動かす研究を始め、1970年には放射圧による粒子の加速と捕捉についての論文を発表した。鍵となる現象は光の放射圧で、これが光の勾配力と散乱力に分けて捉えられる。1986年に光ピンセットを発明し、さらに原子、分子、生物細胞を操作できる光トラッピング法を開発した。この技術は、スティーブン・チューが1997年にノーベル物理学賞を受けた原子の冷却と捕捉の研究の基礎になったとされる。光ピンセット以外にも、第二次高調波発生や光ファイバー内の非線形現象の研究で知られた。
1992年にベル研究所を退職するまでの約40年間に47の特許を取得した。1984年に全米技術アカデミー、1996年に米国科学アカデミーの会員に選ばれ、1987年に量子エレクトロニクス賞、1988年にチャールズ・ハード・タウンズ賞、1998年にフレデリック・アイヴズメダル、2003年にジョセフ・F・キースレー賞、2004年にハーヴェイ賞を受けた。2013年には全米発明家殿堂入りも果たしている。
2018年10月2日、ノーベル物理学賞が授与されると発表された。王立スウェーデン科学アカデミーは、粒子や原子、ウイルス、生きた細胞を、レーザーの指先のような光でつかむ光ピンセットの発明を称えた。賞の半分がアシュキンに、残りの半分が、チャープパルス増幅の研究でジェラール・ムルーとドナ・ストリックランドに贈られた。受賞時は96歳で、当時の最高齢受賞者だった。ニュージャージー州ラムソンに暮らし、自宅の研究室で研究を続けていたとされる。
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