伝記
ディミトリス・フリストフィアスは、キプロス共和国の第6代大統領を務めた政治家である。1946年8月29日、当時イギリスの植民地だったキプロス島北部のキレニア地区ディコモ(現在は北キプロス領)に、ギリシャ系キプロス人の家庭に生まれた。全キプロス労働連盟の創設メンバーだった父の影響で、若くして共産主義運動に加わった。14歳のとき進歩的な高校生の組織に入り、18歳で労働組合と、労働人民進歩党の青年部にあたる統一民主青年機構に加入したとされる。1969年には統一民主青年機構の中央委員会委員に選ばれた。
同じ1969年から1974年までの約5年間、モスクワの社会科学院に留学した。この間に歴史学の博士号を得たともされる。留学中に後の夫人エルシーと出会い、1972年に結婚して3人の子をもうけた。帰国後は労働人民進歩党での活動を本格化させ、1977年に統一民主青年機構の総書記となって1987年まで務めた。1976年に労働人民進歩党の地方委員会委員、1982年には中央委員会委員に選ばれ、政治局員補、政治局員、書記を歴任した。1988年4月、総書記エゼキオス・パパイオアヌの死去を受けて労働人民進歩党の総書記に選出され、2009年1月まで党を率いた。
1991年の総選挙で国会議員に初当選し、1996年、2001年と再選された。2001年6月7日には国会議長に就き、大統領の諮問機関である国家評議会の議員や列国議会同盟のキプロス代表なども兼ねた。
2008年2月17日の大統領選挙には労働人民進歩党の候補として出馬した。候補は9人いたが、実質は民主連合のイオアニス・カソリディス、現職で民主党のタソス・パパドプロス、そしてフリストフィアスの三つ巴だった。第一回投票ではカソリディスが33.5%、フリストフィアスが33.3%で過半数に届かず、24日の決選投票となった。敗れたパパドプロス率いる民主党がフリストフィアス支持を表明したため、決選投票は有利に進み、53.37%を得て勝利した。2月28日、第6代大統領に就任した。就任に際しては、キプロス問題の解決を政権の最優先課題とすると誓った。共産主義政党を母体としながら、一党独裁のような政策は打ち出さず、現行憲法と市場経済を守る立場をとった。
公約の柱だった北キプロスとの再統合では、当選から1か月足らずの2008年3月に、北キプロス大統領メフメト・アリ・タラートとの首脳会談を実現させた。両者は再統合の推進者だったが、南では2004年の住民投票で再統合が否決されており、統合への拒否反応は根強かった。イギリス軍基地の閉鎖も公約に掲げていた。
2010年代に入ると欧州の金融危機の影響が及び、2012年6月に欧州連合へ金融支援を要請した。しかし経済改革に消極的だったため交渉は難航し、支援策をまとめられないまま2013年2月28日に大統領を退任した。再選を目指さない意向を示した初のキプロスの指導者であり、同国と欧州連合の歴史で唯一の共産主義者の国家元首ともされる。その任期中、2009年の北キプロスの議会選挙では民族主義勢力が勝利し、二つの地域からなる連邦国家として再統合し、ギリシャ系住民の賛同を得るという期待は早くもくじかれたという。また、ある姉妹から腎臓の提供を受け、移植で命をつないだという。かつては正教会の信徒だったが、のちには無神論者となっている。2019年5月からニコシアの病院に入院し、6月21日に72歳で亡くなった。
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