HISTORICAL PERSON · 2019年没

アレクセイ・レオーノフ

ソ連の軍人、宇宙飛行士。1965年にボスホート2号で世界初の宇宙遊泳を行い、宇宙服が膨張して船内へ戻れなくなったが、空気を抜いて無事に帰還した。

生涯
2019年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ / ロシア国立総軍事病院)
出生地
ロシア連邦(Listvyanka)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ)

伝記

アレクセイ・アルヒポヴィチ・レオーノフは、1934年5月30日に生まれ、2019年10月11日にモスクワで死去したソビエト連邦の軍人、宇宙飛行士である。1965年3月18日に世界で初めて宇宙遊泳を行った人物として知られる。

フランス語版の記述によれば、生まれたのは西シベリアのケメロヴォ州リストヴャンカ村で、鉱夫で電気技師の父アルヒープと母エヴドキヤの間に生き残った9人の子の一人だった。文字を覚える前から絵を描くことに夢中だったという。1937年、スターリンの粛清のさなかに父が反共産主義の活動を理由に投獄された。本人はこれを誤った告発だと述べている。一家は村人に家財をすべて奪われて村を離れることになった。1948年には一家でカリーニングラードへ移った。そこで海を知り、海は後に絵の好きな題材になった。成人した彼は美術の道を考えたが、兄が航空機の整備士になっていたこともあり、空軍の操縦士養成を選んだ。美術学校と違って軍の学校は宿舎を与えてくれるという事情も関係した。夜には絵の講習にも通い続け、1957年にウクライナの軍事航空学校で操縦士の資格を得て、1959年にスヴェトラーナ・パヴロワと結婚した。卒業後は東ドイツで戦闘機操縦士として国境の警戒飛行に就いたが、その前から宇宙飛行士への志願を出していたという。

1960年、ユーリイ・ガガーリンらとともに空軍から最初の宇宙飛行士として選ばれた20人の一人となった。訓練の最初の数か月は苦しく、遠心分離機の試験に失敗して除名されかけ、高度室での成績も振るわず、心拍の乱れも見つかった。それでもパラシュート降下では際立ち、教官たちは意志の強さ、新しい技能の習得の速さ、不測の事態への対処力で彼を評価したと伝えられる。

1965年3月18日、ボスホート2号でパベル・ベリャーエフ大佐とともにバイコヌールから打ち上げられ、約10分間の宇宙遊泳を行った。帰還は19日である。このとき宇宙服が膨張して手を握ることもできなくなり、エアロックを通って船内に戻れなくなった。与圧バルブを開いて空気を逃がし、ようやく事なきを得たが、この事実は当時は公表されなかった。ドキュメンタリードラマではセルゲイ・コロリョフの指示だったと描かれたが、実際にはレオーノフ自身の独断で、自著『アポロとソユーズ』に書かれているという。

1968年からはソビエトの月接近飛行および月着陸の計画のメンバーに選ばれたが、宇宙船の開発の遅れとアポロ計画の成功により計画は中止された。1971年のソユーズ11号には当初レオーノフが船長として搭乗する予定だったが、打ち上げの4日前のX線検査でクバソフが結核に感染していることが見つかり、規定によりバックアップの3人と交代した。ソユーズ11号は帰還時にバルブの欠陥による空気漏れ事故を起こし、交代した3人全員が死亡した。レオーノフはそのバルブがしばしば誤作動することを知っており、突入前の交信で手動で操作するよう助言していたが、クルーは自動のままにした。彼は自分が乗っていれば事故は起きなかったと、自責の念にかられたという。

1975年にはソユーズ19号に搭乗し、アポロ宇宙船とのドッキングを行った。1976年以降は宇宙飛行士の育成にあたり、1991年に引退した。趣味として宇宙などを題材にした絵を描き続け、来日もし、2003年の世界宇宙飛行士会議では熱意をこめて宇宙への思いを語った。小説『2010年宇宙の旅』に登場するソ連の宇宙船の名にもなったが、これは作者アーサー・C・クラークが1981年に本人に会い、了承を得たものだとされる。

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