伝記
トム・ウルフは、本名をトマス・ケナリー・ウルフといい、1930年3月2日にヴァージニア州リッチモンドで生まれたアメリカ合衆国の小説家、ノンフィクション作家、ジャーナリストである。父は農学者で、雑誌『ザ・サザン・プランター』の編集者を務めた同名のトマス・ケナリー・ウルフ、母は庭園設計家のヘレンだった。リッチモンド北部のシャーウッド・パークで育ち、聖公会系の男子校セント・クリストファーズ校では、生徒会長と学校新聞の編集長を務め、野球でも中心選手だった。
1947年に卒業すると、プリンストン大学への入学の誘いを断ってワシントン・アンド・リー大学に進んだ。英語を専攻し、大学新聞のスポーツ欄の編集者をしながら、文芸誌『シェナンドア』の創刊にも加わって、文章の腕を磨いた。大きな影響を受けたのが、アメリカ研究を教えるマーシャル・フィッシュウィック教授で、文化をその俗な面も含めて丸ごと見るよう学生に教えたという。卒業論文の題は「シマウマだらけの動物園——アメリカの反知性主義」で、言葉への愛着と文化批評への志向がすでに表れていた。1951年に優等で卒業した。大学では投手として野球を続け、準プロとしても投げていた。1952年にはニューヨーク・ジャイアンツの入団テストを受けたが、3日で落とされた。本人は速球が投げられなかったからだと語っている。野球を断念し、フィッシュウィックに倣って、イェール大学のアメリカ研究の博士課程に入った。博士論文は、共産主義者の作家への組織的な働きかけを扱う「アメリカ作家連盟」で、最初は受理されず、客観的な文体で書き直して通った。
学界から教職の誘いを受けたが、記者の道を選んだ。1956年、論文の準備中にマサチューセッツ州スプリングフィールドの新聞の記者となり、論文は1957年に仕上げた。1959年にワシントン・ポスト紙に採用されたのは、政治にあまり関心がなかったことも理由のひとつだったと本人は述べている。1961年にはキューバ報道と、ユーモアの記事で新聞組合の賞を受けた。この頃から、特集記事に小説の技法を持ち込む試みを始めている。1962年にニューヨークへ移り、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙で特集記事を書いた。1960年代には、『ザ・ケンディ・カラード・タンジェリン・フレイク・ストリームライン・ベイビー』や、作家ケン・キージーと「メリー・プランクスターズ」の記録『クール・クール LSD交感テスト』(1968年)、評論集『ラディカル・シック』がベストセラーとなり、全国的な名声を得た。ニュー・ジャーナリズムを代表する人物であり、自らの著作に挿絵も描いた。
1975年には現代美術を論じた『現代美術コテンパン』、1979年にはマーキュリー計画の宇宙飛行士たちを描いた『ザ・ライト・スタッフ』を発表し、後者は1983年にフィリップ・カウフマン監督で映画になった。1981年には『バウハウスからマイホームまで』を出している。1987年に初の小説『虚栄の篝火』を発表して高い評価と商業的成功を収め、1998年に『成りあがり者』、2004年に『アイ・アム・シャーロット・シモンズ』を発表した。『虚栄の篝火』を映画化した作品は、批評でも興行でも失敗した。共和党の支持者であり、2004年の大統領選挙ではブッシュに投票した。2018年5月14日に亡くなった。
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