HISTORICAL PERSON · 2018年没

ポール・アレン

アメリカの実業家。ビル・ゲイツとともにマイクロソフトを共同創業した。のちに投資家としてアレン脳科学研究所や音楽史美術館などに出資した。

生涯
2018年没
死亡地
アメリカ合衆国(ワシントン州 / シアトル)
出生地
アメリカ合衆国(シアトル)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ワシントン州)

伝記

ポール・ガードナー・アレンは、1953年1月21日にワシントン州シアトルで、司書のケネス・サム・アレンとエドナ・フェイの間に生まれたアメリカ合衆国の実業家で、マイクロソフトの共同創業者である。シアトルの名門私立学校レイクサイド・スクールで、同じようにコンピュータに関心を持っていたビル・ゲイツと親しくなった。二人は学校のテレタイプ端末からタイムシェアリングシステムにつないで、プログラミングの腕を磨いた。ワシントン大学の計算機科学部の研究室にも入り浸ったため、1971年には追放された。ゲイツとアレンは、リック・ウェイランド、ゲイツの幼少期からの親友ケント・エヴァンスとともに、レイクサイド・プログラミング・クラブを結成し、ある会社のソフトウェアの不具合を見つける代わりに、同社の大型計算機を無料で使わせてもらった。1972年に登山中の事故でエヴァンスが急死し、ゲイツの求めでアレンは、学校のクラス編成の手順全体を自動化するシステムを完成させた。その後、交通量を計測するシステムを作る会社も二人で結成した。10代のころには、プログラムのコードを求めてごみ置き場をあさったこともあるという。

大学入学試験で満点の1600点を取り、ワシントン州立大学に進んだが、2年後にゲイツがハーバード大学に入ると、中退してハーバード大学の近くのハネウェル社でプログラマとして働いた。1975年、在学中のゲイツを説得し、ニューメキシコ州アルバカーキでマイクロソフトを設立し、ベーシックのインタプリタの販売を始めた。1980年にIBMからOSの開発を求められると、アレンはシアトル・コンピュータ・プロダクツ社から86-DOSを5万ドルで買収する交渉の先頭に立った。これを原型にMS-DOSを開発してIBMに納め、今日のマイクロソフトの成長の基盤を築いた。

1983年に持病のホジキン病を理由に退社し、数か月の放射線治療と骨髄移植で克服して、1985年にアシンメトリックス社を設立した。のちにその診断が誤診だったと判明し、1990年にマイクロソフトに復帰したが、2000年11月に再び退社して取締役も退いた。以後は資産運用や投資を担うバルカン社を経営し、1998年には米国の大手ケーブルテレビ会社チャーター・コミュニケーションズの筆頭株主となって会長に就いたが、同社は2009年2月に連邦倒産法第11章の適用を受けた。1988年にはバスケットボールのポートランド・トレイルブレイザーズを、1997年にはアメリカンフットボールのシアトル・シーホークスを購入した。サッカーのシアトル・サウンダーズのオーナーでもあった。

マイクロソフトを去ったあとは慈善事業にも力を入れ、2003年9月には私財1億ドルでアレン脳科学研究所を設立した。2004年に有人宇宙船スペースシップワンへ出資し、2015年3月には太平洋戦争で沈んだ戦艦武蔵をシブヤン海で発見したと自らのアカウントで報告した。第二次世界大戦の軍用機を集めた私設の航空機博物館も運営した。2009年11月、妹のジョディ・アレンが、非ホジキンリンパ腫の診断を発表し、その後も何度かがんを発症した。2018年10月15日、びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫により、65歳で死去した。

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