伝記
エンマ・モラーノは、1899年11月29日に、イタリア北西部ピエモンテ州ヴェルチェッリ県のチヴィアスコで生まれた女性である。長寿者として知られ、1890年代に生まれた人のうち最後に存命していた。本名はエンマ・マルティーナ・ルイーザ・モラーノといい、父ジョヴァンニ・モラーノと母マティルデ・ブレシャーニの8人きょうだいの最年長で、5人の姉妹と3人の兄弟がいた。母や叔母、何人かの姉妹は90歳まで生き、妹のアンジェラは102歳で亡くなっている。子どものころ、父が製鋼所の職を得て、一家はヴァルセージアからヴィッラドッソラに移り、工場の労働者の住宅に暮らした。13歳でジュート工場に勤め、ミシンで長さ9メートルの袋を縫う仕事をした。
そのころ、アウグストという婚約者がいたが、第一次世界大戦に召集されて、アルプスで行方不明になり、消息は途絶えた。戦争と土地の気候の悪さから、一家はマッジョーレ湖畔のパッランツァに移り、彼女は生涯をここで過ごした。そこでも同じ経営者のジュート工場に職を見つけた。1926年10月にジョヴァンニ・マルティヌッツィと結婚し、1937年に生まれた一人息子は、わずか6か月で亡くなった。結婚生活は幸福ではなく、暴力をふるう夫を、1938年に家から追い出して別居した。ただし法的な離婚はしなかった。キリスト教の影響が強い当時のイタリアでは、離婚は容易ではなかったためである。以後、75年間にわたって一人で暮らし、後年のインタビューで「私は誰からも支配されたくなかった」と語っている。1954年まで工場で働き、その後は、ヴェルバーニアのカトリックの学校で調理人を務め、75歳で退職した。
2011年、アメリカの研究者ジェームズ・クレメントが、長寿の秘訣を調べる調査の一環として彼女を訪ねた。同年12月23日には、ジョルジョ・ナポリターノ大統領から、イタリア共和国功労勲章を贈られた。113歳でもまだ一人で暮らしていて、そこまで一人で暮らした最初の超長寿者となった。115歳の誕生日を迎えて、ようやく一人暮らしをやめ、甥や姪の助けと毎日の訪問を受けるようになった。長寿の秘訣を問われると、薬を使わず、1日に3個ほどの卵を食べ、手作りのブランデーを飲み、チョコレートを時々食べると答え、何よりも未来を前向きに考えることだと語った。
2013年4月2日、マリーア・レダエッリ=グラノーリの死去に伴い、イタリアとヨーロッパで最高齢となった。イタリア生まれの人としては、115歳257日のディーナ・マンフレディーニを超え、史上最も長寿となった。2016年にはアメリカのスザンナ・マシャット・ジョーンズが亡くなり、存命する世界最高齢者となったとされる。2015年の116歳の誕生日には、ローマ教皇フランシスコからの手紙を受け取り、イタリア大統領セルジョ・マッタレッラからも祝いの言葉を贈られた。2016年3月には、ヴェルバーニアの国際祭が彼女の生涯を舞台にして称えた。2017年4月15日、ヴェルバーニアの自宅で、老衰のため117歳137日で没した。これにより、1800年代に生まれた人は全員この世を去った。
同じ年に亡くなった人物
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- カルロス・アルベルト・シルバ (2017年没)
- エマニュエル・リヴァ (2017年没)
- アビブ・チャム (2017年没)
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