伝記
グラティアヌスは、406年から407年にかけてローマ領ブリタンニアで皇帝を称した簒奪者である。407年2月ごろに没した。
先任の簒奪者マルクスが殺害されたのち、ブリタンニアの軍隊によって406年の末、おそらく10月ごろに皇帝に擁立されたとされる。オロシウスの記録によれば、彼はローマ化したブリトン人で、都市貴族層の一員、おそらく都市参事会員だった。軍人ではない文官が軍隊に担ぎ上げられたことから、兵士たちは給与の問題や、ブリタンニア伯、サクソン海岸伯、ブリタンニア軍司令官の三者の不和など、文民のほうが処理しやすい問題を抱えていたのではないかと推測されている。
彼の即位は、ガリアへの大規模な蛮族の侵入と重なった。406年の12月末日(405年とする説もある)、ヴァンダル族、アラン族、スエビ族の軍勢が凍結したライン川を渡った。407年のあいだに彼らはガリア北部に広がってブローニュへ迫り、ゾシモスによれば、ブリタンニアの軍隊はドーヴァー海峡を越えた侵攻を恐れた。ブローニュは、ブリタンニアへ補給や軍隊が渡る主要な港であった。
歴史家J・B・ベリーは、皇帝ホノリウスの軍司令官スティリコが、ブリタンニアの簒奪者を懸念しながらもラダガイススやアラリック1世の動きのために手が出せず、蛮族のガリア侵入をけしかけてブリタンニア軍の注意をそらそうとしたのだと推測した。しかしトマス・バーンズら現代の歴史家はこれを退けている。バーンズによれば、スティリコは反乱への対処をガリアの野戦軍に頼っており、ヴァンダル族の侵入でその軍が大きな損害を受けたことで初めて、ブリタンニアの反乱への対応を考え直さざるをえなくなったという。蛮族の接近が伝わると、軍隊は落ち着きを失った。兵士たちはガリアへ渡って蛮族を食い止めようとしたが、グラティアヌスは留まるよう命じたと推測されている。これに不満を抱いた兵士たちは、治世4か月で彼を殺し、2月の初めにコンスタンティヌス3世を指導者に選んだ。
ジェフリー・オブ・モンマスが描くグラキアヌス・ムニケプスは、おそらく同一人物である。また、アルフレッド・ダガンの歴史小説『小さな皇帝たち』は、彼を含む三人の皇帝志願者を描いている。
同じ年に亡くなった人物
- Victricius (407年)
- Chromatius (407年)
- マリア (407年)
- 金口イオアン (407年没)
- ゴディギゼル (407年)
同じ地域に関係する人物
- カラウシウス (293年没)
- トーマス・ムーア (2021年没)
- マーカス (406年没)
- オファ (マーシア王) (796年没)