HISTORICAL PERSON · 2016年没

ザ・ザ・ガボール

ハンガリー出身のアメリカの女優・社交界の名士。1941年に米国へ移住し、「ヨーロッパの風格」を持つ女優として人気を博した。『赤い風車』などに出演した。

生涯
2016年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
ハンガリー(ブダペスト)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ザ・ザ・ガボールは、1917年2月6日にハンガリーのブダペストで生まれた女優である。「ザ・ザ・ガボール」は日本での慣用の転写で、ハンガリーの本名はガーボル・シャーリという。父ヴィルモシュは軍人、母ヤンカ(ジョリー)は宝石商で芸能人のマネージャーでもあり、いわゆるステージママとして知られた。祖母のフランチェスカ・ケンデは宝石店を営んでいた。姉のマグダ、妹のエヴァも女優で、美しい三姉妹として「ガボール三姉妹」と呼ばれ、ハリウッドの社交界で知られた。母に連れられて、姉妹とともにバラエティの舞台に立ち、ウィーンのクラブでデビューした。1936年にミス・ハンガリーに選ばれ、同じ年に、ウィーンで有名なテノール歌手リヒャルト・タウバーから、オペレッタの役を与えられた。

1941年、ヨーロッパを襲う戦争を逃れて、よりよい将来を求め、先に渡米した妹エヴァを追ってハリウッドに移った。1944年にはブダペストで母方の祖父母が空襲で亡くなり、母はポルトガルの大使をしていた姉の友人の助けでアメリカに逃れた。映画デビューはすぐには実現せず、渡米の約10年後であった。それまでは、姉妹とともにラジオやテレビの番組に出て、「ヨーロッパの風格と様式」を持つ女優として人気を得た。最初の出演映画は、ミュージカル『ローヴリー・トゥ・ルック・アット』(1952年)で、その後、マリリン・モンローも出た『結婚協奏曲』(1952年)や、ジョン・ヒューストン監督の『赤い風車』(1952年)など数々の映画に出た。『赤い風車』ではホセ・フェラーと共演し、画家ロートレックの友人で歌手のジェーン・アヴリルを演じた。ヒューストンは彼女を、女優として称賛に値すると評した。『リリー』(1953年)や、オーソン・ウェルズ監督の『黒い罠』(1958年)にも出ている。商業的なB級作品にも出て、1958年にはSF映画『宇宙の女王』に出た。1960年代以降は、舞台やテレビ番組が中心となり、30本以上の映画と数多くのテレビ番組に出演した。

演技よりも、贅沢なハリウッドの生活様式、華やかな人柄、数々の結婚歴で知られた。結婚は9回で、7回離婚し、1回は婚姻が無効とされた。夫には、ヒルトンホテルの創業者コンラッド・ヒルトンや俳優ジョージ・サンダースがいる。最後の夫は、ドイツの旧皇族が養子に迎えたフレデリック・プリンツ・フォン・アンハルトで、1986年から亡くなるまで連れ添った。「私は素晴らしい家政婦。男性と別れるたびに、彼の家を自分の物にするから」という洒落は有名である。唯一の子の娘は1947年に生まれ、2015年に亡くなった。姉妹の中で子を産んだのは彼女だけである。1970年にはロサンゼルスのベルエアにある大邸宅を購入し、そこはかつてエルヴィス・プレスリーやハワード・ヒューズが住んだ家だった。1989年には、期限切れのナンバープレートで運転していて止められ、警察官を叩いたため3日間の禁固刑を受けた。2002年の交通事故で体の一部が麻痺し、2005年には脳梗塞で手術を受けるなど、健康状態は悪化した。2011年には血栓による壊疽のため、右脚を切断した。2016年12月18日、心臓発作のため自宅で亡くなった。99歳だった。

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