HISTORICAL PERSON · 2016年没

カルロス・アウベルト

ブラジルの元サッカー選手でディフェンダー。ペレとともにサントスで活躍し、1970年のワールドカップでは主将として決勝のイタリア戦で得点を挙げ、優勝に貢献した。

生涯
2016年没
死亡地
ブラジル連邦共和国(リオデジャネイロ州 / リオデジャネイロ)
出生地
ブラジル連邦共和国(リオデジャネイロ)
出典
世界地図
ブラジル連邦共和国(リオデジャネイロ州)

伝記

カルロス・アウベルト・トーレスは、1944年7月17日に生まれたブラジルのサッカー選手で、のちに指導者になった。出身地はリオデジャネイロともスドナバラともいわれる。ポジションはディフェンダーで、攻撃的なサイドバックの創始者とも言われる。技術に優れ、ボールの扱いも守備の能力も高く、PKの名手としても知られた。

15歳でフルミネンセの下部組織に入り、18歳のころには右サイドバックとして一軍に定着した。この間に、1964年のカリオカ選手権と、1966年のタッサ・グアナバラで優勝している。まもなくサントスへ移籍した。移籍金は20万クルゼイロで、当時のブラジルのサッカー界で最も高い取引だったという。ここで「王様」ペレのチームメイトとなった。ヴィラ・ベルミーロに来た1965年のサントスは全盛期にあり、コパ・リベルタドーレスと大陸間カップを2度ずつ制した後だった。1965年4月29日の親善試合で、9対4の勝利に貢献する得点を挙げてデビューした。サントスではパウリスタ選手権5回の優勝とブラジル全国リーグ2回の優勝に貢献し、1968年には大陸間のスーパーカップも制した。通算では443試合に出場して40得点を挙げ、公式のタイトルを9つ獲得した。1971年にボタフォゴへ貸し出されて22試合に出たあと、サントスに戻り、1974年までプレーした。後半は右サイドバックからセンターバックへと位置を移した。

代表では、1964年5月30日、マラカナンでのブラジル、イングランド、ポルトガル、アルゼンチンによる国際大会で、ボビー・チャールトンをマークして代表デビューを果たし、ブラジルは5対1で勝った。ところが1966年のイングランド大会では、ヴィセンテ・フェオラ監督に、経験豊富なジャウマ・サントスを優先されて外された。ブラジルが一次リーグで敗退したのち、チームの再建を任されたジョアン・サルダーニャ監督は、サントスでキャプテンマークを巻いたばかりのカルロス・アウベルトの統率力を評価して、代表の主将に任命した。

カラーテレビの放映が始まった1970年のワールドカップ・メキシコ大会に、ブラジル代表のキャプテンとして出場した。決勝のイタリア戦では、味方のパスにオーバーラップしてワンタッチで逆サイドに決め、ブラジルの4点目を挙げた。ブラジルに最後のジュール・リメ杯をもたらしたこの得点は、大会史上の名ゴールの一つとされ、ブラジル国民の魂を熱く奮い立たせた。トロフィーを高々と掲げる姿は、今も語り草になっている。

1974年にフルミネンセに戻り、1977年にはフラメンゴを経て、ニューヨーク・コスモスへ移り、再びペレとプレーして北米サッカーリーグで4度の優勝を経験した。1982年9月28日の引退試合の相手は、古巣のフラメンゴだった。引退後は指導者となり、1983年にフラメンゴを率いてブラジル選手権に優勝した。コリンチャンスやボタフォゴなどの多くのクラブを率い、ナイジェリアやオマーン、アゼルバイジャンの代表チームにも関わった。2004年には、ペレが選ぶ世界の名選手100人の一人に選ばれた。2016年10月25日、自宅で心臓発作を起こして倒れ、搬送先の病院で亡くなった。72歳だった。

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