伝記
オマル・シャリーフは、1932年4月10日にエジプトのアレクサンドリアで、ミシェル・シャルフーブとして生まれた俳優である。シリアとレバノンの血を引くカトリックの家庭で、父ユセフ・シャルフーブは高級木材を扱う商人であった。母クレールは名高い社交界の女主人で、1952年に退位するまで、エジプト国王ファールークがその家をしばしば訪れたという。一家は彼が4歳のときにカイロへ移った。少年時代はアラブ圏や東欧の王族の子弟も通ったアレクサンドリアのヴィクトリア・カレッジで学び、語学の才を見せた。同級にはエドワード・サイードがおり、のちに俳優となるアハマド・ラムジーや映画監督のユーセフ・シャヒーンとも友人になった。カイロ大学で数学と物理学を修め、卒業後はしばらく父の木材の商売を手伝ってから、俳優の道に入った。
1950年代前半にエジプト映画で俳優として歩み始め、1955年に「オマル・シャリーフ」の芸名を名乗った。シャリーフはアラビア語で「高貴な」を意味し、シャヒーン監督の映画に抜擢されたことが由来とされる。エジプトでは短い間に人気スターとなり、1950年代後半から60年代初めにかけて、多くの映画で主演した。同じ1955年には、エジプトの女優で「アラブ映画の貴婦人」と呼ばれたファーティン・ハママと結婚し、そのために、キリスト教からイスラム教に改宗して名も改めた。夫婦は多くの映画で恋人役を演じたが、1966年にハリウッド進出のため離婚したとされる。
1962年、デヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』で、ベドウィン族長アリを演じてハリウッドにデビューした。この役は、ディリープ・クマールが断り、他の候補も都合がつかなかったことで巡ってきたものである。当時はエジプトの外ではほとんど無名であったが、アカデミー助演男優賞の候補となり、一躍国際的な俳優になった。続いて『ドクトル・ジバゴ』(1965年)で題名役を演じ、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受けた。その後も『うたかたの恋』や『華麗なる相続人』、『ファニー・ガール』(1968年)などに出演し、チンギス・ハーンやチェ・ゲバラのような歴史上の人物も演じた。複数の言語を話せることが強みで、本人は、どこの出身かわからない外国人を演じられたと述べている。1980年代は映画から遠ざかっていた。
2003年、トルコ系のイスラム教徒を演じたフランス映画『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』でセザール賞の最優秀男優賞を受け、同年、ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞も受けた。その後も『オーシャン・オブ・ファイヤー』などに出演している。50年に及ぶ経歴で出演した映画は100本を超え、ゴールデングローブ賞を3度受けたほか、エジプトの功労勲章やフランスのレジオン・ドヌール勲章など、複数の国の高い勲章も授けられた。1960年代にナーセル政権が課した渡航の制限には、不満を漏らしていたという。私生活では、世界選手権に出るほどのコントラクトブリッジの名手で、本も何冊か書いた。競走馬の馬主でもあり、凱旋門賞当日のロンシャン競馬場の常連であった。2015年7月10日、心臓発作のためカイロで死去した。83歳であった。
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