HISTORICAL PERSON · 2014年没

マクシミリアン・シェル

オーストリアの俳優・監督。1961年の『ニュールンベルグ裁判』でアカデミー主演男優賞を受賞し、監督としてはオペラ演出も手がけた。

生涯
2014年没
死亡地
オーストリア共和国(チロル州 / インスブルック)
出生地
オーストリア共和国(ウィーン)
出典
世界地図
オーストリア共和国(チロル州)

伝記

マクシミリアン・シェルは、1930年12月8日にウィーンで生まれた俳優、映画監督、映画プロデューサーである。オーストリアの俳優ともオーストリア出身のスイス人の俳優ともいわれる。母マルガレーテは女優で演劇学校を営み、父ヘルマン・フェルディナントはスイスの詩人・小説家・劇作家で、薬局も所有していた。姉のマリア、兄のカール、妹のイミーも俳優になった。両親はともにカトリックで、後年ユダヤ人の役を何度も演じたが、本人はユダヤ系の祖先は知られていないと語っている。父は、幼いマクシミリアンが母のように俳優になることに熱心ではなく、それが「本当の幸福」につながるとは思えなかったという。

1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、一家は「ヒトラーから離れる」ためにウィーンを逃れ、スイスのチューリヒに移った。チューリヒでは古典を読んで育ち、10歳のときに最初の戯曲を書いた。劇場に囲まれて育ったため、幼いころは俳優になるのが当たり前のように思え、かえって望まなかったという。なりたかったのは画家か音楽家、あるいは父のような劇作家だった。チューリヒ大学に1年通い、サッカーやボート部で過ごしたほか、新聞の通信員の仕事で収入を得た。第二次世界大戦の終結後、ドイツに移ってミュンヒェン大学で哲学と美術史を学んだ。のちにチューリヒに戻って1年間スイス陸軍に勤務し、ロンドンの学校に1年、その後チューリヒ大学とバーゼル大学にも通った。この間に古典から現代劇まで小さな役で舞台に立ち、学問よりも俳優の道に生涯を捧げようと決意した。バーゼルの劇場で演技を始めた。

映画デビューは1955年のドイツの反戦映画「子供たち、母たち、そして将軍」で、脱走兵の将校を演じた。戦争に幻滅した若い脱走兵を繊細に演じたことは、後の役柄の特徴になったと評された。ヨーロッパでさらに7本の映画に出たのち、1958年公開の「若き獅子たち」でハリウッドに進出した。1961年公開の「ニュールンベルグ裁判」では弁護士を演じ、アカデミー主演男優賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞を受けた。その後も「トプカピ」「オデッサ・ファイル」「遠すぎた橋」などに出演し、「ザ・マン・イン・ザ・グラス・ブース」と「ジュリア」ではアカデミー賞の候補となった。英語とドイツ語の両方に堪能で、ナチス時代を扱う映画で主役級を務めることが多かった。

監督としては、1970年の「初恋」で長編デビューした。ドイツ映画賞の監督賞に3度ノミネートされた。1973年公開の作品でゴールデングローブ賞の外国映画賞を受けたとされる。テレビでも活躍し、映画「スターリン」(1992年)でゴールデングローブ賞の助演男優賞を受けたほか、「アンネの日記」のオットー・フランク、ピョートル大帝、フリードリヒ大王などを演じた。舞台ではハムレットの名演が知られ、演出家としては芝居だけでなくオペラも手がけた。ピアニストや指揮者としても優れ、クラウディオ・アバドやレナード・バーンスタインと共演し、ベルリンやウィーンの管弦楽団とも演奏した。ドイツ映画研究所は彼を「万能の芸術家」と呼んだ。2002年には姉をたたえる記録映画「マイ・シスター・マリア」を監督している。2014年2月1日、オーストリアのインスブルックで、83歳で死去した。

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