伝記
アルケシラオス2世は、キュレネ(キュレナイカ)の第4代のギリシア人の王で、バットス家の一員である。「圧制者」「厳格者」「苛烈な者」と呼ばれ、この王の代からバットス家の勢力と影響力は衰えはじめたとされる。
父は第3代の王バットス2世で、母は分かっていない。父の姉妹にあたる王女クリトラがおり、祖父は第2代の王アルケシラオス1世である。妻のエリュクソは父方の従姉妹で、クリトラの末の子だった。二人の結婚は、彼が王位に就く前のことである。父は紀元前560年に没し、アルケシラオスが王位に就いた。夫妻には、のちの王バットス3世となる息子が生まれた。プルタルコスは、エリュクソの長兄ポリュアルコスという従兄弟がいたことも記している。
プルタルコスによれば、気性が父とは異なり、粗暴な性格と風貌ゆえに「圧制者」の名で呼ばれたという。父の治世のあいだにも、自分の家の周りに防壁を築いて、キュレナイカ中に知られた。王位に就くと、ラルコス(レアルコス)が助言役となった。ヘロドトスはこの人物を王の兄弟とするが、プルタルコスは無作法で邪悪な友人だったとする。王はその助言に従い、王というより僭主のようになった。ラルコスは陰で自分が王になろうと企て、キュレネの貴族の追放や殺害を命じたとされる。
企みを知った王はラルコスと王位をめぐって争い、ラルコスは企てを王のせいにしたという。王はラルコスと支持者の追放を命じた。彼らはキュレネを去って、バルカという新しい町を築いた。建設のあいだに、ラルコスは土地のリビア人を説得し、キュレネへの忠誠をやめさせて、王への戦いを呼びかけた。キュレネ軍が近づくとラルコスとリビア人はあわてて退いたが、王の軍はレウコンまで追った。そこでラルコスたちが王の軍を襲い、キュレネ軍は敗れて、重装歩兵を最大で7,000人も失った。
敗戦から間もなく、レウコン近くで、アルケシラオスは「海の野兎」という猛毒の魚を入れた飲み物を口にして重い病にかかった。プルタルコスによれば、この魚を食べると人は死ぬという。ラルコスは紀元前550年に王を絞め殺した。キュレネに戻って王位を狙ったが、エリュクソとポリュアルコスの謀によって殺された。ポリュアルコスはバットス3世を王と宣言した。アルケシラオスの遺体はキュレネへ運ばれ、父方の祖先の近くに葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- Eupalinos (紀元前600)
- アッシュル・ウバリト2世 (紀元前600年代没)
- ザレウコス (紀元前 600年(推定))
- 摩耶夫人 (紀元前 600年(推定))
- エピメニデス (紀元前 600年(推定))
同じ地域に関係する人物
- デメトリオス (紀元前249)
- アルケシラオス3世 (紀元前600)
- マガス (紀元前249)
- バトス3世 (紀元前600)
- Battus II of Cyrene (紀元前600)