HISTORICAL PERSON · 1647年没

エヴァンジェリスタ・トリチェリ

イタリアの物理学者で、ガリレイの弟子。水銀柱の実験で真空を発見して気圧計を発明したとされ、流出速度を示すトリチェリの定理も発表した。

生涯
1647年没
死亡地
イタリア共和国(フィレンツェ県 / フィレンツェ)
出生地
イタリア共和国(ローマ)
出典
世界地図
イタリア共和国(フィレンツェ県)

伝記

エヴァンジェリスタ・トリチェリは、1608年10月15日にイタリアのエミリア=ロマーニャ地方のファエンツァで生まれ、1647年10月25日にフィレンツェで没した物理学者・数学者で、ガリレオ・ガリレイの弟子である。気圧計の発明者として知られる。生まれた町のイエズス会の学院で学び、数学の教師にその才能を認められてローマへ送られた。最初は数学者の秘書として働いた。

1626年から、ガリレオの忠実な友人で弟子でもあるベネデット・カステッリに学んだ。カステッリは1628年に水力学の著作を出した人物で、ガリレオの仕事に通じていた。トリチェリは実験の組み立てや器具の調整を覚え、数学の教養を深め、ガリレオの著作を読んだ。それに刺激されて、自然に落下する物体と投射体の運動についての力学の論文を書き、平衡状態では固体の重心はできるだけ低くなろうとすることを示した。重い物体の運動や、サイクロイドをめぐる基本問題の解決で名が知られるようになり、ロベルヴァルやフェルマー、メルセンヌら、フランスの学者とも文通を始めた。フェルマーが彼に出した、三角形の各頂点からの距離の和が最小になる点を求めよという問題は、今日トリチェリの問題と呼ばれている。

1641年4月、カステッリは失明していたガリレオをフィレンツェ近郊のアルチェトリの別荘に訪ね、トリチェリの論文を届けた。老師はそれを認め、二人の間に文通が始まって、ガリレオはたびたび助けに来るよう誘ったが、トリチェリは、ガリレオの立場をおそれてか、10月になってようやくアルチェトリを訪ねた。彼は老師の助手兼秘書となり、最後の3か月を共に過ごし、最期を看取った。ガリレオの死後、トスカーナ大公フェルディナンド2世に数学者・哲学者として招かれてフィレンツェに残り、ピサ大学の数学教授に任命され、生活の心配から解かれた。

フィレンツェの水道工たちは、アルノ川の水を約10メートルより高く吸い上げられず、長年苦しんでいた。ガリレオが多忙で引き受けなかったため、その後継者であるトリチェリに問題が持ち込まれ、彼は1年以内に答えを出すと約束した。1643年、弟子のヴィヴィアーニとともに、水より密度の高い水銀を使って実験を行った。一方の端が閉じたガラス管に水銀を満たして、水銀を満たした皿に立てると、水銀は水のときの約14分の1の約76センチメートルの高さにしかならず、上部は真空になった。水銀柱の高さは日々わずかに変わり、場所によっても変わることも分かった。彼は、空気の圧力、つまり大気圧が液体を押しているのだと結論した。圧力の単位トルは、その名にちなむ。

1644年には『幾何学論集』を刊行した。その幾何学は、のちに積分学と呼ばれるものへの最初の歩みでもあった。彼は温度計やいくつかの光学レンズも作った優れた器具の発明家でもあり、またクルスカ学会の会員にも選ばれた。同じ1644年、容器の側面の穴から出る液体の流出速度についてのトリチェリの定理を発表した。流出速度は、液面と穴の高低差の分だけ自由落下した物体の速度と等しい。サイクロイドの面積を求めることにも成功した。1647年、腸チフスにより39歳で世を去った。

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