伝記
ヴォー・グエン・ザップは1911年(1912年説もある)、フランス領インドシナのクアンビン省に生まれた。両親は地主で、幼少期は不自由なく過ごしたが、父は炭鉱で働く一方で独立運動にも関わっていた。1919年に植民地政府の転覆計画に関与したとして逮捕され、数か月後に獄死している。同じ頃に姉も逮捕され、釈放されたものの数週間後に病死した。兄から自宅で教育を受け、1924年に当時の首都フエの国学に入り、独立運動家ファン・ボイ・チャウの講義も聞いた。
1926年に学生組織を作ったことで退学処分となり、帰郷した。このころ地下組織の新ベトナム革命党に入党して共産主義思想に触れ、フエに戻ってからは学生運動に身を投じて逮捕され、懲役2年の判決を受けた。13か月後に証拠不十分で釈放されるとインドシナ共産党に加入し、反政府デモに参加してまた2年間服役している。出所後の1933年にインドシナ大学に入学して法学と政治・経済を学び、下宿先の教授の娘グエン・チー・ミン・ジャンと知り合って、1938年5月に結婚、翌年に長女をもうけた。ただし学生運動に熱中して行政法審判官の試験に落ち、法律家の道は閉ざされた。
その後はハノイの学校で歴史教師を務めるかたわら、革新系の新聞にベトナムの社会・経済や国際問題の記事を多く寄せ、地下新聞やフランス語新聞も発行した。チュオン・チンと『農民問題』を共著している。この時期に軍事学や哲学に関心を持ち、孫子を尊敬し、ナポレオンのリーダーシップを研究し、ロレンスの『知恵の七柱』に感銘を受けた。正式な軍事教育は受けず、これらの読書とゲリラ闘争を通じて独学で軍事知識を身につけ、自らを「独学の将軍」と呼んだ。1939年にインドシナ共産党が禁止されると中国へ亡命し、妻と従姉妹はフランス当局に逮捕されて獄死した。1940年にホー・チ・ミンと出会い、まもなく側近の一人となった。
1944年にベトナム解放軍の前身を組織し、1945年の八月革命で重要な役割を果たした。同年9月の独立宣言とともに臨時政府の内務部長となり、1946年11月に国防大臣に任命された。同月末にはベトナム軍総指揮官となって第一次インドシナ戦争でゲリラ戦を指揮し、1948年にはベトナム軍初の大将に任命された。1954年3月から5月にかけてのディエンビエンフーの戦いでは、56日間にわたってフランス軍の裏をかく人海戦術で名采配を振るい、徹底的に打ち破った。1955年には副首相に就いている。
ベトナム戦争では、人民軍総司令官として北ベトナム軍を指揮し、南ベトナム軍とアメリカ軍に対した。この戦いはベトナム再統一の大きな原動力となり、西側では「赤いナポレオン」と呼ばれた。戦後の1979年には中越戦争で中国軍との戦闘を1か月で撃退させたが、1980年に国防部長を解任され、1982年には政治局から除籍された。1991年に中央委員会からも副首相職からも外れて、すべての公職を離れた。引退後も公開書簡で政府の腐敗を批判し、若者の間で高い人気を誇った。ピアノをたしなみ、音楽と読書を愛した。2013年10月4日、ハノイの軍病院で102歳で亡くなり、国葬が営まれた。
同じ年に亡くなった人物
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