HISTORICAL PERSON · 2013年没

ジョナサン・ウィンタース

アメリカの俳優・コメディアン・声優。オハイオ州出身で、母親はラジオのパーソナリティだった。

生涯
2013年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / モンテシート)
出生地
アメリカ合衆国(デイトン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ジョナサン・ウィンターズは1925年11月11日にオハイオ州で生まれたアメリカの俳優、コメディアン、声優である。母はラジオのパーソナリティとして活躍し、父は保険のセールスマンで、のちに投資の仲介人になった。家系はイギリスとスコットランドにつながるとされる。7歳のときに両親が別居し、母に連れられてオハイオ州スプリングフィールドに移って、母方の祖母と暮らした。本人は後年、両親は自分を理解せず、自分も両親を理解できなかったと語っている。ひとり部屋にこもって人物を作り上げては自分にインタビューし、さまざまな奇妙な効果音を身につけたという。学校の友人たちを、自動車レースの実況の物まねで楽しませることもあった。

高校の最終学年で学校をやめ、17歳でアメリカ海兵隊に入隊した。二年半を過ごすあいだに第二次世界大戦へも従軍し、太平洋戦域で戦った。除隊後は大学に戻り、のちにデイトン美術学院で漫画の技法を学んだ。そこで出会ったアイリーン・ショーダーと、1948年に結婚している。

芸能の道に入るきっかけは、失くした腕時計だったという。結婚して半年ほど後、新しい時計が買えずにいたところ、妻が優勝賞品が腕時計のタレントコンテストの記事を見つけて背中を押し、彼は見事に優勝した。この出演が縁でディスクジョッキーの仕事を得たが、曲の紹介や気温の案内の合間に差し込むアドリブや人物の演技が、しだいに番組の中心になっていった。地元のラジオ局や、オハイオ州コロンバスのテレビ局で活動し、一年で成功しなければデイトンに戻ると妻に約束して、わずかな所持金でニューヨークへ渡った。友人の家を転々としながらナイトクラブでスタンダップ・コメディアンの機会をつかみ、テレビ番組にも出るようになった。初期には、東映が製作したアニメ映画『西遊記』(1960年)の英語吹替え版にもクレジットされている。

人気が広がると、テレビドラマや映画で俳優としての地位を築き、ジョニー・カーソンら人気司会者のトークショーにも度々出演した。映画には『おかしなおかしなおかしな世界』(1963年)、『アメリカ上陸作戦』(1966年)などがある。1960年からは喜劇のアルバムを数多く録音し、グラミー賞に11回ノミネートされた。1975年には『星の王子さま』の語りで子ども向けアルバム賞、1996年には喜劇アルバムで話芸部門の賞を受けている。1981年からのテレビシリーズ『モーク&ミンディ』で共演したロビン・ウィリアムズとは親交が深く、その関係は死去まで続いた。

テレビでは1991年に、短命に終わった喜劇『デイヴィス・ルールズ』の演技でエミー賞助演男優賞を受けた。1999年にはマーク・トウェイン賞の二人目の受賞者となり、2008年にはウィリアムズからテレビ・ランド・パイオニア賞を贈られた。画家としても作品を展覧会に出品し、本も著して、短編集『ウィンターズ物語』(1988年)はベストセラーの一覧に並んだ。声優としては、1986年から終了までアニメ『スマーフ』でスマーフじいさんの声をあて、2011年の映画ではパパ・スマーフを演じた。

妻アイリーンとの間には二児が生まれ、夫婦関係は2009年に妻が亡くなるまで続いた。2013年4月11日、カリフォルニア州モンテシートで、老衰のため家族に看取られて亡くなった。87歳だった。映画『スマーフ2 アイドル救出大作戦!』のせりふを録音した九日後のことで、同作が遺作となり、作品は彼の思い出に捧げられた。

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