伝記
アドリエンヌ・リッチは、1929年5月16日にメリーランド州ボルティモアで生まれたアメリカの詩人であり、エッセイスト、フェミニストでもある。日本語表記はエイドリアン・リッシュとされることもある。2人姉妹の姉で、父アーノルド・ライス・リッチはジョンズ・ホプキンズ大学医学部の病理学の主任教授、母ヘレン・エリザベス(旧姓ジョーンズ)はコンサート・ピアニストで作曲家でもあった。父はユダヤ系、母は南部のプロテスタントの出で、娘たちはキリスト教徒として育てられた。
早い時期の詩の手ほどきは父から受けた。父は娘に読書と詩作を勧め、「神童を育てるつもりだった」とされる。父の書斎でイプセンやブレイク、キーツ、テニスンなどを読んだ。姉妹は、リッチが小学4年で公立の学校に通い始めるまで、母に家庭で教育を受けた。のちに女子校のローランド・パーク・カントリー・スクールに進み、卒業するとハーヴァード大学系のラドクリフ大学で学んだが、大学時代に女性の教師とは1人も出会わなかったという。
大学の最終学年だった1951年、最初の詩集『世界の変容』が、詩人のW・H・オーデンの選により、イェール大学の若手詩人叢書の賞を受け、オーデンが序文を寄せた。形而上詩人の伝統に沿った端正な作風で、高い評価を得た。卒業後はグッゲンハイム奨学金を得てオックスフォードに留学したが、フィレンツェを訪れたのちは大学に戻らず、イタリアを巡りながら詩作を続けた。1953年にはハーヴァード大学の経済学の教授アルフレッド・ハスケル・コンラッドと結婚し、ケンブリッジに住んで、1955年、1957年、1959年に3人の息子をもうけた。後に彼女は、結婚には最初の家族から離れたい気持ちが一部あったと語っている。1955年の第2詩集『ダイヤモンド・カッター』は、のちに出さなければよかったと述べたものの、同年にアメリカ詩協会のリッジリー・トランス記念賞を受けた。1960年代に入ると、全米芸術文学協会の賞や、オランダ詩の翻訳のための基金の助成を受けている。
1963年の第3詩集『嫁の肖像』は、妻であり母である自分の女性としてのあり方をより個人的に見つめた作品で、作風と主題を大きく変えたが、批評は厳しかった。「苦々しく私的だ」と見なされたと、リッチ自身が振り返っている。のちに、母になった経験が自分を急進的にしたとも書いた。1966年に一家でニューヨークへ移ってからは、新左翼に近づき、反戦運動や公民権運動、フェミニズムの活動に深く関わった。1968年には、ベトナム戦争への抗議として納税を拒否する誓約に署名している。夫もこの地の市立大学で教えた。『廃墟への跳躍』で全米図書賞を受けている。ニューヨーク大学で教授も務めた。
1960年代以降の作品の主題は、戦争や人種問題、女性解放へと広がった。女性論エッセイの「強制的異性愛とレズビアン存在」では、「レズビアン連続体」の概念を示し、フェミニズム批評に影響を与えた。母であることを論じた『女から生まれる』(1976年)や、『嘘、秘密、沈黙』『血、パン、詩』にまとめられた女性論も知られている。国立芸術基金への予算を打ち切る下院議長ギングリッチの投票に抗議し、国家芸術勲章を辞退したことでも名を残した。2012年3月27日、関節リウマチの合併症により亡くなった。
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