伝記
エイミー・ワインハウスは、1983年9月14日にロンドン北部のエンフィールドで、ユダヤ系の両親のもとに生まれたイギリスの歌手であり、作曲家でもある。父ミッチェルはのちにタクシー運転手となり、ジャズを歌う愛好家でもあった。母ジャニスは薬剤師で、兄アレックスが一人いた。親族には職業ミュージシャンが多く、とくにジャズが日常にあふれる家庭だったとされる。日曜日にはユダヤ教の基本を学び、信仰に厚い人ではなかったが、ユダヤ人の共同体の一員という意識を持っていた。16歳のとき演劇学校を退学処分となり、同級生だった歌手タイラー・ジェイムスの関係するレコード会社にデモ・テープを送って、アイランド・レコードと契約を結んだ。
2003年にアルバム『フランク』でデビューし、ビリー・ホリデイを思わせるハスキーな歌声と、1960年代の初期ソウルを思わせる生演奏のバンドで注目された。2006年の『バック・トゥ・ブラック』は高い評価を受け、全英1位、全米7位を記録し、ブリット・アウォーズでは最優秀女性ソロ・アーティストに選ばれた。2007年には英国で最も売れたアルバムとなり、その年の世界で最も売れたとする記述もある。個性的な蜂の巣のように高く結い上げた髪型と濃いアイラインは、彼女の象徴になった。
一方で私生活は荒れていた。2007年5月に、ミュージック・ビデオの撮影アシスタントだったブレイク・フィールダー=シビルとマイアミで結婚したが、2009年8月に離婚している。夫は薬物依存症で、エイミーが薬物に溺れたのは夫の影響が大きいとされる。2007年8月に夫婦で依存症の治療施設に入り、2008年1月にも再び入所した。この体験を題材にした「リハブ」は代表曲となった。2008年の第50回グラミー賞では6部門でノミネートされ、最優秀新人賞や最優秀楽曲賞など5部門を受賞したが、ビザの発給を拒否されたため授賞式にはイギリスから衛星中継で出演した。その後も入退院を繰り返してキャリアは停滞し、2008年6月には、父が初期の肺気腫だと明かして波紋を呼んだ。
2011年6月、復帰を目指してヨーロッパ・ツアーを始めたものの、18日にセルビアのベオグラードで行った約2万人規模の野外コンサートでは、開演を大幅に遅らせたうえ、泥酔して満足に歌えず、観客からブーイングを浴びた。以後の公演はすべて中止となり、これが生涯最後のステージとなった。7月23日、ロンドンのカムデンにある自宅で遺体となって発見された。27歳であった。2013年1月に発表された再検死の結果では、死因はアルコール中毒とされ、事件性はないという。生前最後に発表された作品は、2010年11月のクインシー・ジョーンズのトリビュート盤に収められた「イッツ・マイ・パーティー」であり、トニー・ベネットとは「ボディ・アンド・ソウル」を共演している。
没後も評価は続き、2015年には、アシフ・カパディア監督のドキュメンタリー映画『AMY エイミー』が公開されて、第88回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受けた。2024年には半生を描いた映画が日本でも公開されている。
同じ年に亡くなった人物
- ヤーン・ポプルハール (2011年没)
- ポール・バラン (2011年没)
- ジョン・ウッド (俳優) (2011年没)
- フアン・マリーア・ボルダベリー (2011年没)
- ガリー・スピード (2011年没)
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