伝記
リン・マーギュリスは、旧姓をリン・ペトラ・アレクサンダーといい、1938年3月5日にシカゴのユダヤ系の家庭に生まれたアメリカの生物学者である。4人姉妹の長女で、父モリスは弁護士のかたわら、道路用の塗料をつくる会社も経営していた。母は旅行代理店を営んだ。1952年にハイドパーク高校に入ったが、自分では悪い生徒で、しばしば教室の隅に立たされたと回想している。早熟で、15歳でシカゴ大学附属の実験学校に入学を認められ、1957年、19歳のときにシカゴ大学から教養の学士号を取得した。ウィスコンシン大学ではハンス・リスとウォルター・プラウトに生物学を学び、1960年に遺伝学と動物学の修士号を得た。続いてカリフォルニア大学バークレー校のマックス・アルフェルトのもとで研究し、学位論文を終える前に、1964年にブランダイス大学の研究員、ついで講師の口を得て、そこで働くうちに、バークレーから博士号を授与された。
最初の夫は天文学者のカール・セーガンで、息子のドリオンとジェレミーをもうけた。ドリオンは著述家となり、後年、彼女の多くの一般向けの著作を共に書いた。1966年にボストン大学に移り、22年間生物学を教えた。ここで1967年に、真核細胞の起源について、細胞内の器官は、もとは独立した細菌だったとする理論的な論文を発表した。論文は約15の学術誌に断られ、ようやく受け入れられたものだった。この論文は今日、細胞内共生説の画期的な論文とされるが、その説は、その後およそ10年ほどはほとんど無視された。批判に何十年もさらされながらも、彼女は粘り強く自説を推し進めたことで知られる。ミトコンドリアが細菌に、葉緑体がシアノバクテリアに由来することは、1978年に実験で示され、1980年代の初めには、それらの遺伝物質が宿主の核のものとは大きく異なることが確かめられて、この説は広く認められるようになった。
マーギュリスは、競争ではなく共生こそが進化の原動力であり、重要な過程だと主張し、適者生存を柱とするネオダーウィニズムに真っ向から反対した。リチャード・ドーキンスらの有力な進化論者と、生涯にわたって論争した。1996年には、ボストン大学で開かれた会議で、ネオダーウィニズムは忘れ去られるべき20世紀の弱小学派だと、強い言葉で述べている。一方で、ジェームズ・ラブロックと共同でガイア理論を発展させ、地球は自己調整する一つの系として働いていると唱えた。また、ロバート・ホイタッカーの生物の五界説の主な擁護者でもあった。先駆者であるロシアの研究者の著作の英訳を自ら監修し、その成果は、死の前年に出版された。
1988年にマサチューセッツ大学アマースト校の植物学の特別教授となり、1997年に地球科学部に移って、亡くなるまでその地位にあった。1983年にアメリカ科学アカデミーの会員に選ばれ、1995年から1998年の間に世界芸術科学アカデミー、ロシア科学アカデミー、アメリカ芸術科学アカデミーの会員となった。1999年に国家科学賞を受け、2008年にはロンドンのリンネ協会のダーウィン=ウォレス・メダルを贈られた。2011年11月17日に出血性の脳梗塞を起こし、11月22日、マサチューセッツ州アマーストの自宅で死去した。
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