伝記
パトリシア・ニールは、本名をパッツィ・ルイーズ・ニールといい、1926年1月20日、ケンタッキー州ウィットリー郡のパッカードで、ウィリアム・バーデット・ニールとエウラ・ミルドレッドの間に生まれたアメリカ合衆国の女優である。きょうだいは二人いた。テネシー州ノックスビルで育ち、ノックスビル高校を卒業して、ノースウェスタン大学で演劇を学んだ。大学では美人コンテストで女王に選ばれたが、才能を見出した芸能関係者に説得されて、大学を離れニューヨークへ出た。
ニューヨークで最初に得た仕事は、ブロードウェイの舞台の代役だった。つぎに、リリアン・ヘルマンの『森の別の場所』に出演し、1947年に創設されたばかりのトニー賞で、助演女優賞を受賞した。1949年に映画に初めて出演し、同年の『摩天楼』では、ゲイリー・クーパーと共演した。ニールは、すでにクーパーと不倫の関係にあり、それが明るみに出て大きなスキャンダルとなった。クーパーの妻は離婚に応じず、ニールは妊娠したものの、子供を中絶せざるをえなかったという。マスコミは「年上の男を誘惑した若い女」として彼女を叩き、二人は別れ、ニールは落ち込み、仕事も減った。『地球の静止する日』(1951年)などに出たのち、神経衰弱に陥ってハリウッドを離れ、ニューヨークの舞台に戻った。ここで俳優養成所のアクターズ・スタジオの会員となった。
駆け出しのころから目をかけてくれた劇作家リリアン・ヘルマンの紹介で、作家のロアルド・ダールと出会い、1953年に結婚して、5人の子をもうけた。1957年に『群衆の中の一つの顔』で映画に復帰し、『ティファニーで朝食を』(1961年)にも出た。ポール・ニューマンと共演した『ハッド』では、くたびれた家政婦の役を演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した。受賞の記者会見には、昔クーパーから贈られたという毛皮のコートを着て現れ、クーパーが亡くなったときにはコメントを求められて、「彼は私の愛です」と語っている。
一方、家庭には相次いで不幸が訪れた。1960年12月には、生後4か月の長男テオが交通事故で脳に障害を負い、1962年11月には、7歳の長女オリヴィアが麻疹脳炎で亡くなった。1965年には、5番目の子ルーシーを妊娠中に脳卒中に見舞われ、一時は歩くことも話すこともできなくなった。固い意志と懸命なリハビリで回復し、無事に出産もした。『卒業』のロビンソン夫人役の話を断ったが、1968年の映画(日本未公開)でふたたびアカデミー賞にノミネートされた。1971年のクリスマスのテレビ映画で母親を演じ、ゴールデングローブ賞を受けた。この作品から生まれたテレビシリーズ『ウォルトン家の人々』では、彼女の健康が毎週の撮影に耐えられるか確信がもてないとして、役は別の女優に代わった。ダールとは、彼の度重なる浮気を理由に、約30年の結婚生活ののち、1983年に離婚した。1999年のロバート・アルトマン監督の『クッキー・フォーチュン』では題名役を演じた。1990年に刊行された日本語版の自伝では、「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」と結ばれている。2010年8月8日、肺癌のため亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- Kenneth Lane (2010年没)
- ミープ・ヒース (2010年没)
- フアン・アントニオ・サマランチ (2010年没)
- ティーナ・マリー (2010年没)
- テオ・アルブレヒト (2010年没)
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- リヒャルト・フォン・ミーゼス (1953年没)
- イザベラ・スチュワート・ガードナー (1924年没)
- ベティ・フィールド (1973年没)
- ヴィクター・ワイスコフ (2002年没)