伝記
バラス・フレデリック・スキナーは、1904年3月20日にペンシルベニア州サスケハナで生まれた、アメリカ合衆国の心理学者で、行動分析学の創始者である。家庭は「温かく安定した」環境だったという。父は弁護士、母は専業主婦で、2歳下の弟がいた。幼いころから工作に熱中し、浮力を用いて熟した実と未熟な実を選別する装置や、逆方向にステアリングするカート、永久機関の装置などを試作した。弟エドワードは、スキナーが18歳のときに、脳出血により16歳で死去している。ハミルトン・カレッジで英文学を専攻し、1926年に卒業すると、作家を志したが、創作に行き詰まって「暗黒の年」と呼ぶ時期を過ごした。ニューヨークの書店で働くなかで、パブロフやワトソンの著書に触れ、行動主義心理学に強く惹かれた。
24歳でハーバード大学の心理学科に入学し、生理学部長ウィリアム・クロージャーの指導のもと、自作の装置を用いて、動物の行動を通して強化の随伴性を実験的に明らかにした。この装置が、のちに「スキナー箱」として知られるようになる。成果は1938年に出版された最初の著書にまとめられた。1936年、32歳でイヴォンヌ・ブルーと結婚し、ミネソタに移住して、そこで初めての教職に就いた。1938年に長女が生まれた。1943年、次女の誕生にあたり、安全で快適な保育装置を考案した。ところが、雑誌に「箱の中の赤ん坊」という題で紹介されたことで、スキナーが自分の娘をスキナー箱で育てたという根拠のない噂が広まり、晩年まで悩まされることになった。この噂に対し、娘は明確に否定しており、父は非常に献身的で愛情深かったと語っている。ミネソタ大学とインディアナ大学の教職を経て、1958年からハーバード大学の心理学科の教授を務めた。
自由意志は幻想であり、人の行動は過去の行動の結果に依存すると考えた。過去の結果が悪ければその行動は繰り返されにくく、良ければ繰り返される、という立場を「強化理論」と呼んだ。行動強化のために強化理論を用いることをオペラント条件づけと呼び、強化の度合いを測る最も適切な尺度は応答速度だとした。オペラント条件づけの研究のために、レバーを押すと自動的に餌が出る仕掛けを施した、ラット用の「スキナー箱」を発明し、応答速度の測定のために累積記録器も考案した。これらを用いて、心理学者チャールズ・ファースターと多くの業績を残した。自らの立場を徹底的行動主義と称し、認知や感情の存在を否定したと誤解されるが、それらを行動の原因とすることを否定しただけであった。
理論化したオペラント条件づけを教育に応用して、プログラム学習と、これを具現化したティーチング・マシンを開発した。これは、のちの個別学習の方式に少なからぬ影響を与えた。米海軍と共同で、動物を機器の制御装置として用いる研究も行った。もともと小説家志望だった影響か、小説も書き、代表作は、ソローの『ウォールデン』を下敷きにして心理学的ユートピアを描いた『ウォールデン・ツー』である。1968年に、ジョンソン大統領よりアメリカ国家科学賞を授与された。1990年に白血病と診断されたが、死の8日前に、アメリカ心理学会で最後の講演を行った。同年8月18日にマサチューセッツ州ケンブリッジで死去した。86歳であった。
同じ年に亡くなった人物
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- マルコム・フォーブス (1990年没)
- ジョーン・ベネット (1990年没)
- ゴードン・ジャクソン (1990年没)
- ミゲル・ムニョス (1990年没)
同じ地域に関係する人物
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- ユーサフ・カーシュ (2002年没)
- ジェームズ・B・フランシス (1892年没)
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