伝記
ライアン・オニールは、1941年4月20日にアメリカのロサンゼルスで生まれ、2023年12月8日に亡くなった俳優である。父チャールズは作家で脚本家、母パトリシアは元女優だった。ロサンゼルスの高校に通い、アマチュアのボクサーとしてゴールデン・グローブスを目指して鍛えたという。唯一のきょうだいである弟ケヴィンも、俳優で脚本家だった。
1950年代の終わりごろ、父がテレビシリーズの仕事を得たため、一家はミュンヘンへ移った。現地の学校になじめずにいた彼を見て、母が伝手を頼って撮影中の番組の代役の仕事を世話した。エキストラやスタントマンとして働くうちに、演技に関心を持つようになったとされる。アメリカに戻って1960年にテレビへ初めてゲスト出演し、いくつもの番組に顔を出したのち、1962年から1963年にかけて西部劇風の連続ドラマにレギュラー出演した。転機は1964年に始まった『ペイトンプレイス物語』で、ロドニー・ハリントン役を得て全米に名を知られるようになった。共演者には映画に進んだ者もおり、彼自身も映画を望んでいた。初めて長編映画で主演したのは1969年の作品である。
1970年にはオリンピック選手を演じた『ゲームス』にも出ている。同じ年の『ある愛の詩』は脚本家エリック・シーガルの推薦で主演が決まった作品で、出演料は2万5千ドルだったという。この映画は興行的な大成功となり、アカデミー主演男優賞とゴールデン・グローブ賞の候補になった。日本でも主題曲が街角で流れるほどの人気で、世界に知られる存在となった。続いてコミカルな役にも活路を見出し、1973年の『ペーパー・ムーン』では娘のテータムと初めて共演した。テータムはこの作品でアカデミー助演女優賞を受けている。1975年にはスタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』に主演し、1977年の『遠すぎた橋』や1978年の『ザ・ドライバー』にも出演し、同じ1978年には『ある愛の詩』の続編も作られた。1970年代は絶頂期だったが、驕りのある言動や私生活のトラブルも取りざたされた。
私生活は華やかで、バーバラ・パーキンスとの噂のあと最初の妻ジョアンナと離婚し、1967年に共演者と再婚して、これも離婚に至った。ファラ・フォーセットとは1980年から17年にわたって同棲し、息子レドモンドをもうけた。2005年にはテータムが自叙伝で父による虐待を告白し、本人は否定したが、ほかの子供たちも証言した。2007年にはマリブの自宅で、息子グリフィンに向けて銃を発砲して逮捕されている。2008年には違法薬物所持の容疑で三男とともに逮捕された。
1980年代以降は主演作が急減した。2001年に慢性白血病と判明して公表し、闘病しながらも俳優業を続け、2006年に寛解した。2004年にはテレビドラマ『デスパレートな妻たち』にも出演した。2008年から2009年にはがんと闘うファラを介護し、その様子を描くリアリティ番組も作られたが、遺産目当てではないかと冷ややかに見られた。ファラは2009年6月25日に死去した。ファラは結婚せず、遺産は全額、二人の間の三男に贈られた。2006年から2017年には、テレビシリーズ『ボーンズ』に主人公の父マックス役で繰り返し出演した。2012年には前立腺がんが公表された。2023年12月8日、息子パトリックのインスタグラムで死去が報告された。
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