伝記
カール・マルデンは、1912年3月22日にイリノイ州シカゴで、3人兄弟の長男として生まれたアメリカの俳優である。生まれたときの名はムラデン・セクロヴィッチといい、この日は母の20歳の誕生日でもあった。父ペタルはセルビア系で、製鉄所で働き、牛乳配達もした。母ミニーはチェコ系の裁縫師であり、女優でもあった。父は音楽を愛し、アメリカ各地の移民の合唱団をまとめるセルビア歌唱連盟を組織した。5歳のときにシカゴのセルビア人居留地から家族でインディアナ州ゲーリーのコネチカット通りの家に移って育ち、幼稚園に入るまで英語は全く話せず、セルビア語に生涯堪能だった。
十代のころは合唱団に加わり、父が演出する教会の芝居に出た。高校ではバスケットボール部の中心で、試合中に2度鼻を折り、それが特徴的な大きな鼻になったと自伝に書いている。演劇部にも所属し、僅差で最上級生の学級委員長に選ばれた。1931年にエマーソン高校を優秀な成績で卒業したが、希望したアーカンソーの大学の運動奨学金は、バスケットボール以外の競技をする気がないとして得られなかった。そのため、1934年までの3年間、父と同じ製鉄所で働いた。1934年9月、シカゴのグッドマン演劇学校に入った。製鉄所で3年間働いて家族を支えたため、学費を十分には貯められなかったとされる。22歳で、エリア・カザンに勧められて名をカール・マルデンと改めた。最初の劇団が劇場の看板用に短い名を求めたためで、彼は解雇の口実にされるのではないかと疑い、先に変えたという。のちに改名を悔やみ、出演作に本名のセクロヴィッチをたびたび忍び込ませた。『パットン大戦車軍団』や『終身犯』では、台詞にこの名が出てくる。
1937年にニューヨークで舞台デビューし、カザンの目に留まって、1946年から1947年にアーサー・ミラーの『みんな我が子』とテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』のブロードウェイ初演で評判を得た。1940年に映画デビューし、1951年の映画版『欲望という名の電車』で、舞台と同じミッチ役を演じ、アカデミー助演男優賞を受賞した。1954年の『波止場』では司祭役で、2度目のアカデミー助演男優賞の候補となった。『私は告白する』『西部開拓史』などにも出演し、『ベビイ・ドール』『ジプシー』ではゴールデングローブ賞の助演男優賞に候補となった。『パットン大戦車軍団』では、オマール・ブラッドレー将軍を演じた。
1970年代以降は活動の中心がテレビに移り、1972年から1977年までテレビの刑事ドラマ『サンフランシスコ捜査線』で主役のマイク・ストーン警部補を務めた。この作品でも、本人の名を持つ助手が登場し、1976年にはゴールデングローブ賞の男優賞(ドラマ部門)の候補になった。1968年から1989年までアメリカン・エキスプレスのCMにも出た。1989年から1992年まで映画芸術科学アカデミーの会長を務め、2003年の第75回アカデミー賞授賞式には、過去の受賞者として出席した。1938年から71年間続いた結婚生活は、ハリウッドの歴史で3番目に長い。2009年7月1日に死去した。
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