伝記
サミュエル・フィリップス・ハンティントンは、1927年4月18日にニューヨーク市で生まれたアメリカ合衆国の政治学者である。父リチャード・トーマスはホテル業界紙の発行者、母ドロシー・サンボーン(旧姓フィリップス)は短編小説の作家で、祖父は出版人のジョン・サンボーン・フィリップスであった。一人っ子として育ち、1939年に第二次世界大戦が始まると国際問題への関心を深めたとされる。18歳でイェール大学を優れた成績で卒業し、1946年4月から約1年間、陸軍に服した。復員後にシカゴ大学で修士号を取り、ハーバード大学で政軍関係を研究して博士号を得た。
1950年、23歳でハーバード大学の政治学部で教え始めたが、1950年代の末に終身在職権を認められず、同じく認められなかったズビグニュー・ブレジンスキーとともにニューヨークのコロンビア大学へ移った。ここでは政治学部の准教授となり、戦争と平和研究所の副所長も兼ねた。1963年にハーバード大学から終身在職権つきで招かれて復帰し、以後は没するまで在職した。1965年にはアメリカ芸術科学アカデミーの会員に選ばれ、ウォーレン・マンシェルとともに雑誌「フォーリン・ポリシー」を創刊して、1977年まで共同編集者を務めた。1967年からはジョンソン政権の国務省でベトナム戦争に関する報告書を執筆し、大統領選では民主党のヒューバート・ハンフリー陣営の演説原稿も書いた。1977年には、国家安全保障担当の大統領補佐官となった旧友ブレジンスキーに招かれ、国家安全保障会議の安全保障計画の調整官としてホワイトハウスで働き、1978年末まで務めた。
研究の出発点は軍と政治の関係であった。最初の主著『軍人と国家』(1957年)は、刊行当時は大きな論争を呼んだが、のちにアメリカの政軍関係を論じる最も影響力のある書とみなされるようになった。軍を専門職として確立させることが軍への文民統制を保つ最善の方法だとする「客観的文民統制」の理論を示した本である。1968年の『変革期社会の政治秩序』では、経済や社会の進歩が新興国に安定した民主主義をもたらすという近代化論を批判し、近代化で社会が複雑になるのに政治制度の整備が追いつかなければ暴力に至りうると論じた。1970年代には民主・独裁を問わず各国政府の助言者となり、1972年にブラジルの政権の代表と会い、翌年には性急な自由化の危険を警告する報告書を発表している。三極委員会の報告書『民主主義の統治能力』の共著者でもある。
名を世界に広めたのは、冷戦後の世界を文明にアイデンティティを求める諸国家の対立として描いた1993年の論文と、それを展開した著書『文明の衝突』(1996年)である。元教え子フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」に呼応する形で、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所での講義をもとに「フォーリン・アフェアーズ」誌へ投稿したものであった。この主張は各国で反響を呼び、イランのハータミーの「文明の対話」や、トルコとスペインの「文明の同盟」構想にも影響を与えたとされる。一方で、エマニュエル・トッドのように「国家観が古い」と批判する論者もいた。のちにはアメリカのアイデンティティを論じた『分断されるアメリカ』(2004年)も著した。2007年に教壇を退くまで学部生を教え続け、数年来の病気ののち、2008年12月24日に81歳でマサチューセッツ州で死去した。妻ナンシー・アルケリアンとは、1956年の大統領選のスティーブンソン候補の演説原稿を共に書く作業で出会い、二人の息子がいた。
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