伝記
ロバート・アーサー・モーグは、1934年5月23日にニューヨークのフラッシング病院で生まれたアメリカの電子工学者で、モーグ・シンセサイザーの開発者として知られる。姓の発音は「モウグ」である。父ジョージ・コンラッドはドイツ系で、電力会社に勤める技術者だった。母シャーリーはポーランド系ユダヤ人の血を引く。クイーンズのフラッシングで育ち、母に無理にピアノを習わされた一方、ボーイスカウトの活動に熱心で、父とマンハッタンのラジオ街を訪れ、ラジオや電子工作に取り組むのを楽しみにしていた。手を動かして演奏する電子楽器のテルミンに魅せられ、1949年、14歳のときに雑誌の設計図をもとにテルミンを自作した。
1952年にブロンクス科学高校を卒業し、1955年にニューヨーク市立大学クイーンズ校で物理学の学士号を、1957年にコロンビア大学で電気工学の学士号を取得した。1965年にはコーネル大学で工学物理学の博士号を得た。1953年に自分の設計のテルミンを作り、翌年には雑誌に記事を発表して、「R・A・モーグ・カンパニー」を設立した。両親の家でテルミンやその組み立てキットを作り、通信販売で売った。1956年に父とともにレイモンド・スコットの研究施設を訪ね、スコットは購入したテルミンを鍵盤で操作する楽器につくり替えた。1958年に結婚し、1963年にニューヨーク州トルーマンズバーグに会社最初の事務所を構えた。
コーネル大学では、作曲家ハーブ・ドイッチュとともに最初のシンセサイザーの部品に取りかかった。当時のシンセサイザーは部屋を埋め尽くす巨大な機械で、モーグは、音楽家に受け入れられる小型のものを目指した。実用性と手頃な価格を最も重要と考えた。1964年に、音を作り形づくる個別のモジュールをケーブルでつなぐモジュラー・シンセサイザーの制作を始め、電圧で音の高さを制御する発振器を考案した。電圧で音量を制御する増幅器や、音の立ち上がりと減衰を決めるエンベロープも備えていた。この楽器は1964年にニューヨークの学会で披露され、価格は1万ドルで、10万ドルを超える他のシンセサイザーより格段に安かった。1970年には、より持ち運びやすいミニモーグを発表した。1971年に会社を売却して1977年まで設計者として在籍し、1978年に新会社を設立、のちにモーグの名の権利を取り戻して社名とした。ただ、特許を取ったのはトランジスタ・ラダー・フィルターだけで、実業家としては拙かったとされる。
1984年から1988年までカーツワイルの新製品開発担当副社長を務め、1990年代初めにはノースカロライナ大学アッシュビル校で音楽の教授として教えた。2002年にはグラミー賞の技術賞を受けた。2004年に来日してテレビ番組に出演し、その世界観を紹介する映画『モーグ』も公開された。2005年4月に違和感を覚えて検査を受け、悪性度の高い脳腫瘍と診断された。手術はできず放射線治療を試みたが、8月21日にノースカロライナ州アシュビルの自宅で、家族に看取られて71歳で亡くなった。机には開発途中の試作品や回路図が残っていた。
同じ年に亡くなった人物
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