伝記
リチャード・エレット・スモーリーは、1943年6月6日に生まれ、2005年10月28日に没したアメリカ合衆国の化学者である。フラーレンの発見により、ロバート・カール、ハロルド・クロトーとともに、1996年にノーベル化学賞を受賞した。ライス大学で化学、物理学、天文学の講座を担当した。
オハイオ州アクロンで、4人きょうだいの末っ子として生まれ、ミズーリ州カンザスシティで育った。父フランク・ダドリー・スモーリー・ジュニアは機械や電気の装置を扱う仕事をし、のちに農機具の業界誌の経営者になった。母エスター・ヴァージニア・ローズは、リチャードが十代のときに学士号を取った。母は、物理科学の基礎を教える数学者ノーマン・ロイヤル・ジュニアに強く刺激され、科学への愛を、長い会話や共同の活動を通じて息子に伝えた。母方のおばで、女性化学者の先駆けであるサラ・ジェーン・ローズは、有機化学の実験室で作業をさせ、化学の評価が高いホープ・カレッジへの進学を勧めた。スモーリーはホープ・カレッジに2年通ってミシガン大学に移り、ラウル・コペルマンの研究室で学部の研究をして、1965年に学位を取った。学業の合間には企業でも働き、独自の経営手法を身につけたという。
1973年にプリンストン大学で博士号を取得した。論文題目は、トリアジンの低い電子状態についてであり、エリオット・バーンスタインが指導した。1973年から1976年までシカゴ大学でドナルド・レヴィ、レナード・ウォートンとともに博士研究員を務め、超音速ジェットを使ったレーザー分光学の先駆者となった。1976年にライス大学へ移り、1980年に准教授、1981年に化学科の教授となった。1979年のライス量子研究所の設立にもかかわった。半導体や無機物のクラスターの形成を、パルス状の分子線と飛行時間型の質量分析で研究していたため、カールを通じて、天文学的な塵の成分を調べていたクロトーを紹介された。それは、老いた星が放出する炭素に富む粒子の問題だった。この共同研究が、炭素の第3の同素体であるフラーレンとC60の発見に結びついた。
スモーリーは、切った六角形を立体的に貼り合わせて20個の六角形と12個の五角形を使えば、C60の構造がサッカーボールのようになると見抜いた。名前は、測地線ドームで知られるアメリカの建築家バックミンスター・フラーにちなんでつけた。1985年11月14日に発表された論文がこの発見を示した。のちには、C70やカーボンナノチューブを調べたり、金属を内部に含むフラーレンを作ったりした。高圧の一酸化炭素からカーボンナノチューブをつくる方法の開発にも参加した。1990年に米国科学アカデミーの会員となり、1996年にはナノスケール科学技術センターの所長に就いた。2000年から2005年までは、カーボンナノテクノロジーズ社の取締役会長を務めた。分子ナノマシンの構想には批判的だったが、ナノテクノロジー自体には大いに期待していた。1991年にアーヴィング・ラングミュア賞、1992年にウェルチ化学賞、1996年にフランクリン・メダルなどを受けた。晩年にキリスト教に入信し、白血病を患って、テキサス州ヒューストンで死去した。
同じ年に亡くなった人物
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