HISTORICAL PERSON · 2004年没

クリストファー・リーヴ

アメリカの俳優。1978年の映画『スーパーマン』で主人公のクラーク・ケント役に抜擢され、スーパーマン役で広く知られるようになった。

生涯
2004年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / マウント・キスコ)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

クリストファー・ドリエ・リーヴは、1952年9月25日、ニューヨークに生まれたアメリカの俳優、映画監督である。父フランクリン・ドリエ・リーヴは小説家で大学教授、母バーバラ・ピットニーはジャーナリストだった。1956年に両親が離婚し、弟のベンジャミンとともに、母のもとでニュージャージー州プリンストンで育った。母はのち再婚し、二人の弟が生まれた。15歳でウィリアムズタウン演劇祭の舞台に立って俳優としてデビューし、地元の合唱団ではバリトンを歌った。1974年にコーネル大学を卒業して文学士の学位を取り、同級の友人ロビン・ウィリアムズとともに、選ばれた二人としてジュリアード音楽院で演劇を学んだ。

1976年にキャサリン・ヘプバーンと共演した舞台でブロードウェイにデビューし、ソープオペラや映画でも小さな役を重ねた。舞台の仕事に満足しながらも収入は少なく、俳優をやめて父の仕事を手伝うことも考えていたころ、スーパーマン役を探しているという話を聞いた。身長193センチで、スポーツ万能、泳ぎに優れ、ホッケーと乗馬を好み、飛行機の操縦免許も持つ。無名の俳優を望んだリチャード・ドナー監督の目に留まり、1978年の映画『スーパーマン』でクラーク・ケントとスーパーマンの役に抜擢された。世界的なスターとなり、この作品の英国アカデミー賞新人賞を受けた。その後に作られた3本の続編にも主演している。1980年には、タイムトラベルの恋愛映画『ある日どこかで』でジェーン・シーモアと共演した。興行的にはふるわなかったが、のちに熱心なファンを持つ映画となった。

俳優としての名声を得た年から、社会的な活動にも取り組み、スペシャル・オリンピックスを支え、病院や障害のある人々を訪ねた。1987年には、ピノチェト独裁政権下のチリで殺害予告を受けた俳優たちを支持するために現地へ飛び、2004年にチリ政府から勲章を贈られている。1995年5月27日、バージニア州シャーロッツヴィルで乗馬競技中に落馬して脊髄を損傷し、首から下が麻痺した。映画界から離れてリハビリテーションに専念し、妻のダナとともに、麻痺に苦しむ人々を支える財団やセンターを開いた。車椅子の生活となりながら、1996年のアカデミー賞授賞式にプレゼンターとして姿を見せ、出席者は総立ちで迎えた。1997年にはHIV感染者を主人公とするテレビ映画で監督業に進み、同作で息子のウィルを俳優としてデビューさせた。

ナレーションを務めた記録番組でエミー賞を受け、1999年には自伝の朗読でグラミー賞を獲得した。テレビ映画『裏窓』のリメイクでは、車椅子の主人公を自ら演じ、全米映画俳優組合賞の男優賞を受けた。2003年から2004年には、連続ドラマ『ヤング・スーパーマン』に出演している。身体障害者への持続的な支援活動が評価され、2003年にメアリー・ウッダード・ラスカー公益事業賞を受けた。「ヒーローとは何か」と問われ、スーパーマンの撮影中は先を考えずに勇気ある行動をとる人と答えていたが、落馬事故のあとは、どんな障害にあっても努力を惜しまず、耐え抜く強さを身につけていったごく普通の人と答えている。2004年10月9日に自宅で心不全を起こし、昏睡状態となって、翌10日に病院で亡くなった。52歳だった。妻のダナは、2006年3月9日に肺癌で亡くなった。

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