伝記
ルイ・アームストロングは、1901年8月4日、ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれたジャズ・トランペット奏者・歌手である。愛称はサッチモで、口が大きいことから「サッチェル・マウス(小型カバンのような口)」と呼ばれ、それが縮まったものだという。生まれ育ったのは、アフリカ系アメリカ人が多く住む比較的貧しい居住区だった。子どもの頃、祭りに浮かれてピストルを発砲し、少年院に送られた。その少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったのが、楽器との最初の出会いである。その後は町のパレードなどで演奏するようになり、人気を集めた。
1919年にデイジー・パーカーと結婚し、いとこの息子クラレンスを養子にした。クラレンスは幼い頃の怪我で知的障害があり、一生その面倒を見たが、1923年にデイジーとは離婚した。同年シカゴに移ってキング・オリヴァーの楽団に加わり、初めてレコーディングを行った。1924年にはリル・ハーディンと結婚し、ニューヨークに行ってフレッチャー・ヘンダーソン楽団に在籍し、「ブルースの女王」ベッシー・スミスとも共演した。その後シカゴに戻り、リルらと自分のバンド「ホット・ファイヴ」を結成した。このバンドが1926年に録音した「ヒービー・ジービーズ」は、ジャズ史上初のスキャット・ヴォーカル曲として知られる。1930年代にはヨーロッパ・ツアーも行い、第二次世界大戦中は慰問公演も行った。ところが、人種差別が法的に認められていた当時のアメリカでは、公演先で白人と同じホテルに泊まれず、劇場の入り口さえ別々という差別を受け続けた。1938年にリルとは離婚し、四年間続いたアルファ・スミスとの結婚も1942年に終わった。同年、コットン・クラブの歌手ルシール・ウィルソンと結婚し、1971年に亡くなるまで添い遂げた。実子はいなかったが、子どもたちを愛したという。
1950年代には「バラ色の人生」や「キッス・オブ・ファイア」が大ヒットし、1953年には初の日本公演を行った。1956年にはエラ・フィッツジェラルドとも共演した。1960年代、時代がビートルズ一色となるなかでも、多くのアメリカ国民に受け入れられた。ビートルズが連続1位の記録を更新中だった1964年5月9日、「ハロー・ドーリー!」が全米1位を記録し、63歳のルイは全米を驚かせた。1967年の「この素晴らしき世界」は世界的な大ヒットとなり、1968年には『サッチモ・シングス・ディズニー』を発表した。『上流社会』『五つの銅貨』などの映画にも多く出演した。リトルロック高校事件でアイゼンハワー大統領が連邦軍の派遣を当初拒んだ際には、政府の扱いを厳しく批判する発言をしている。
洗練されていない地方的なダンスミュージックを、ポピュラーな音楽形態であるジャズへ発展させた。ウィントン・マルサリスは「色々なトランペット奏者の良い所を盗もうとしたが、ルイだけは盗めなかった」と賞賛し、マイルス・デイヴィスは「喋りまでジャズになっている」と語った。スキャットの手法を広め、キャブ・キャロウェイにもそれを教えた。1999年には、『ライフ』誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」にも選ばれた。1971年7月6日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ハインツ・ホップ (1971年没)
- Sergey Timofeyevich Konyonkov (1971年没)
- リッチモンド・ランドン (1971年没)
- 内田百閒 (1971年没)
- レイモンド・ハットン (1971年没)
同じ地域に関係する人物
- リタ・ヘイワース (1987年没)
- ダグラス・フェアバンクス・ジュニア (2000年没)
- ロバート・スタングランド (1953年没)
- レイナルド・アレナス (1990年没)
- レッドベリー (1949年没)