伝記
スティーグ・ラーソンは、1954年8月15日にスウェーデン北部のシェレフテオ近郊で生まれ、2004年11月9日に亡くなったスウェーデンのジャーナリスト、作家である。本名はカール・スティグ=エルランド・ラーソン。推理小説「ミレニアム」3部作の作者として最もよく知られ、この作品は死後に出版されて、映画化もされた。
父エルランドと母ヴィヴィアンヌの子として生まれた。父と母方の祖父は地元の製錬所で働いていたが、ヒ素中毒に苦しんだ父が仕事をやめ、家族はストックホルムに移った。住まいが狭かったため、1歳のラーソンだけが残されて、9歳になるまで、ヴェステルボッテン県の田舎の小さな木造の家で、母方の祖父母に育てられた。村の学校へは、雪深い冬にクロスカントリー・スキーで通い、この経験を懐かしく思い出していたという。祖父は共産主義者で、スペイン内戦に国際旅団の一員として参加しており、その影響を受けたという。祖父が亡くなると、両親のいるウメオで暮らしたが、都会の環境はあまり好きではなかった。1972年に社会科学の中等教育の修了証を得た。ジャーナリスト養成の大学を受験したものの、入学試験に落ちた。1974年に徴兵され、16か月の兵役のあいだ、歩兵部隊で迫撃砲手としての訓練を受けた。もとの名は「スティグ」だったが、20代前半に、同名の友人の作家と混同されないよう「スティーグ」に綴りを改めた。
12歳の誕生日には両親からタイプライターを贈られた。最初の創作はSFで、1971年ごろからスウェーデンのSFファンの活動に加わった。1972年には仲間とファンジンの『スフェーレン』を創刊し、1970年代には約30号のファンジンを出して、初期の短編もそこに発表している。1978年から1979年にはスウェーデンのSFファンクラブの理事を務めた。政治的には極左の活動家で、共産主義労働者同盟に加わり、トロツキスト系の雑誌『第四インターナショナル』を編集し、1977年にはエリトリアで女性ゲリラ部隊に迫撃砲の使い方を教えたこともあるとされる。
1981年にスウェーデンの通信社でグラフィック・デザイナーとして働きはじめ、約20年勤めた。そのあいだに、イギリスの反ファシズム雑誌サーチライトの編集にも携わった。1995年には政治雑誌エキスポを創刊して編集長を務め、極右の研究者としても活動した。ミレニアムの執筆は2002年に始まった。パートナーの女性と過ごしながら書き進め、構想は全部で10冊にのぼったという。2004年に出版社と契約を結んだ直後、急な心臓発作により亡くなった。
2005年に『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』が刊行され、2006年に第2部『火と戯れる女』、2007年に第3部『眠れる女と狂卓の騎士』が続いた。3部作はスウェーデンをはじめ世界でベストセラーとなり、様々な賞を受けた。ラーソンは、アフガニスタン出身のカーレド・ホッセイニに次いで、2008年に世界で2番目に売れた小説家となった。第3部は、2010年にアメリカで最も売れた本になった。2015年3月までにシリーズは世界で8000万部を売り上げた。
同じ年に亡くなった人物
- モーリス・ウィルキンス (2004年没)
- リジー・メルシエ・デクルー (2004年没)
- George Hunter (2004年没)
- ピエロ・ピッチオーニ (2004年没)
- デレク・ジョンソン (2004年没)
同じ地域に関係する人物
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- ベント・エケロート (1971年没)
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- ソフィア・ヴァーサ (1611年没)
- Erik de Laval (1973年没)