伝記
ジャック・デリダは、1930年7月15日に生まれ、2004年10月9日に没したフランスの哲学者である。フランス領アルジェリアの出身のユダヤ系フランス人で、一般にポスト構造主義の代表的哲学者とされる。エクリチュール(書かれたもの、書く行為)の特質と差異に着目し、脱構築や散種、差延といった概念で知られる。エトムント・フッサールの現象学の研究から出発し、ニーチェやハイデガーの哲学を批判的に受け継いで発展させた。
当時フランス領だったアルジェリアのアルジェ近郊で、ユダヤ系の家庭に生まれた。五人きょうだいの三男で、両親はハリウッドの映画俳優にちなんで「ジャッキー」と名づけたが、のちにパリに出て、「正しい読み」としての「ジャック」に自分で改めた。パリのリセ・ルイ=ル=グランで学んだが、なじめなかったという。サッカーが好きで、将来の夢はサッカー選手だったともいう。受験に二度失敗したのち、1951年に高等師範学校に入った。ここでルイ・アルチュセールやミシェル・フーコーの講義に出て、のちに友人となった。ハイデガーやキルケゴールを読んだ後、フッサールの現象学を研究する決意を固め、ベルギーのルーヴェンのフッサール文庫を訪ねた。1954年の教授資格論文はフッサールについてのもので、のちに1990年に『フッサール現象学における発生の問題』として出版された。この試験には一度落ちて、1956年に合格した。ハーバード大学に留学し、1957年にボストンで、精神分析を研究していたマルグリット・オークチュリエと結婚した。アルジェリア独立戦争の間は、軍事学校で兵士たちにフランス語や英語を教えた。
作家フィリップ・ソレルスが主宰する「テル・ケル」のグループと親しくなり、1960年から1964年にかけてソルボンヌ大学で哲学の講師を務めた。1962年にはフッサールの『幾何学の起源』に長い序文を付けて翻訳し、ジャン・カヴァイエス賞を受けて注目を集めた。1964年からは高等師範学校の哲学史講師となり、のちに同校の教授として1984年まで務めた。1966年にジョンズ・ホプキンス大学で開かれた会議で、人間科学の言説における構造、記号、遊戯について発表し、クロード・レヴィ=ストロースを批判したことで、広く知られる一歩を踏み出した。1967年には『グラマトロジーについて』『声と現象』『エクリチュールと差異』を続けて発表し、以後も哲学界に影響を与え続けた。『グラマトロジーについて』では、ルソーの言語起源論とレヴィ=ストロースの人間科学の概念を詳しく批判し、書き言葉を話し言葉の代補とみなす音声中心主義を、西洋形而上学が一貫して現前性を真理の基準としてきた現れとして批判した。
1968年の五月革命以降、フランス当局が哲学教育の時間数や教員数を減らしたことに対し、1974年に教員や学生とともに「哲学教育研究グループ」を結成し、哲学教育を削減せず、むしろ時間数を増やして学習の開始年齢を下げるよう提言した。1981年に成立したミッテラン政権はこの運動を支持し、1983年に「国際哲学コレージュ」が創設されると、彼は初代議長に就任した。1984年から亡くなるまでは、パリの社会科学高等研究院で研究ディレクターを務め、1986年にはカリフォルニア大学アーバイン校の人文学教授となった。1990年代には『法の力』『マルクスの亡霊たち』などで政治哲学へと重心を移した。2001年にフランクフルト市のテオドール・アドルノ賞を受けた。2003年に膵癌にかかり、2004年にパリで亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ルスラン・ゲラエフ (2004年没)
- ボリス・トライコフスキ (2004年没)
- ロケ・マスポリ (2004年没)
- ジャック・パール (2004年没)
- Shobha Gurtu (2004年没)
同じ地域に関係する人物
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- イヴァン・ブーニン (1953年没)
- ガブリエル・マルセル (1973年没)
- トワイヤン (1980年没)
- ジャック・イニャス・イトルフ (1867年没)