伝記
カルパナ・チャウラは、1962年3月17日、インドのハリヤーナー州カルナールに生まれた宇宙飛行士である。父バナルシ・ラル・チャウラはタイヤ工場の経営者、母は医師の娘で、いずれもインド・パキスタン分離独立の1947年に、西パンジャブから難民として東パンジャブへ移ったヒンドゥー教徒だった。彼女は四人きょうだいの末っ子で、二人の姉と一人の兄がいる。生まれたときには正式な名前がなく、両親は「モントゥ」と呼んでいたが、学校に入るときに、両親が示した候補の中から自分で「カルパナ」を選んだ。この名は「着想」や「想像」を意味し、それが選んだ理由だった。親戚や友人からは、頭文字をとって「KC」と呼ばれた。
3歳のとき、空を飛ぶ飛行機を見て関心をもち、12歳で航空宇宙工学の技術者になろうと決めた。しかし父は、それは男のすることだとして、医師か教師になるよう勧めた。それでも彼女はカルナールのタゴール学校で物理、化学、数学を専攻し、1976年に上位の成績で卒業した。翌年には女子大学で大学進学前の1年を過ごし、ダヤル・シン・カレッジで基礎の工学を学んだ。故郷には工学の大学がなく、チャンディーガルのパンジャーブ工科大学の航空工学科に進んだ。そこは4人の女性がいた学科で、彼女はその大学で航空宇宙工学の授業を受けた最初の女性だった。教授の中には、女性に向かないと言って電気工学を勧める者もいた。1982年に工学の学士号を得て卒業した。
インドでは専門的な航空宇宙工学の課程を学べなかったため、1982年に渡米した。希望のテキサス大学アーリントン校の奨学金を得たが、父の許可が必要だったが、父はこのときも反対したという。同校で修士号を、コロラド大学ボルダー校で航空宇宙工学の博士号を取り、ボルダーでは各種の操縦免許や計器飛行の資格、飛行教官の資格も取得した。アメリカ人男性と結婚して、1990年代初めにアメリカの国籍を取った。1988年に米航空宇宙局のエイムズ研究センターに採用されて、計算流体力学を研究し、のちに民間会社の副社長となった。1994年に再び米航空宇宙局に戻って宇宙飛行士を志し、1年間の訓練を経て、ミッション・スペシャリストとしてロボットアームの操作を担当することになった。
彼女はインド系の女性として初めて宇宙に飛んだ。最初の飛行は1997年に打ち上げられたスペースシャトルのSTS-87で、太陽観測衛星スパルタン201-04の放出と回収に携わった。この衛星の放出が失敗したことで、彼女の働きをめぐる議論も起きた。2回目の搭乗となった2003年のSTS-107では、微小重力下の実験を担当した。しかし2003年2月1日、地球への帰還時にスペースシャトル・コロンビアが空中分解し、搭乗していた7人全員とともに殉職した。2回の飛行はいずれも、微小重力が様々な物理過程に与える影響を調べる実験を行うものだった。死後に議会宇宙名誉勲章などを授与された。事故の前年に打ち上げられたインドの気象衛星「メットサット1」は、2003年に彼女を記念して「カルパナ1」と改名され、小惑星や母校の学生寮にも名がつけられた。インドでは、その出自と業績から広く知られる存在となり、奨学金や賞が設けられている。
同じ年に亡くなった人物
- エディ・トムソン (2003年没)
- イッザト・ガッザーウィ (2003年没)
- ヒルデ・レヴィ (2003年没)
- ローレル・クラーク (2003年没)
- Tranquilo Cappozzo (2003年没)
同じ地域に関係する人物
- クリストファー・ヒッチェンズ (2011年没)
- ウィリアム・トラヴィス (1836年没)
- ヤン・デ・ハルトグ (2002年没)
- レディ・バード・ジョンソン (2007年没)
- チャールズ・パドック (1943年没)